10.08.2013

先生とのお話まとめ

先生のところに行くといつも色んな話をしてもらえるから嬉しい。
今日はイギリスの公衆衛生界の話。

・イギリスの公衆衛生の話
イギリスでは最近の政権交代に伴い公衆衛生機関が
政府の外から政府内へとうつったらしい。
それでも実務に変更はなく仕事内容はかわらないそう。
それは業界が専門家でなりたっており、専門家の行き来が柔軟なため、
機関の外側がかわっても内側での人事の変化に問題はない。
政府内外での専門家での人事交流が盛んなため。
日本では政府内の人事と外の人事が異なるため
このような変化での大幅な人事変更、業務内容変更が予想された。

・ヨーロッパの産業界の話
ヨーロッパでは流通経路の各段階の産業の中の業界が充実している。
たいていはその産業の企業をまとめる組織(アソシエーション)が存在しており
各産業の問題解決やガイドラインの作成などの自己管理を担っている。
公益の受容者のサポートをする。
例えば政策を作るときに諮問されるのも業界組織だし、
(日本では政府に専門家が雇われるが、EUの業界は専門家をもっている)
政策を作ったときに通達・実行するのも業界組織である。
(日本は行政が直接出向く)
これもまた業界内での専門者層があついからかなうこと。

海外と日本の専門家の育て方のちがい、
日本で今後どのように育ていくのかというのを考えているそう。
気になる〜

感想)

・業界の話、日本でもまだ強い業界組織というのはないらしいけど
途上国にも必要だなあと思った。
そしてこの必要だなあという感覚自体は信じているのだけど
この議論と結びつけるだけのはしごがないから
もっともっと勉強しなくてはと思った。



9.29.2013

モモ





p.275
モモはただ彼をじっと見ました。なににもまして彼が病気だということ、死の病にむしばまれているということが、よくわかりました。

pp.321-322
「それは、どういう病気なの?」
「はじめのうちは気のつかないていどだが、ある日きゅうに、なにもする気がしなくなってしまう。なにについても関心が持てなくなり、なにをしてもおもしろくない。だがこの無気力はそのうちに消えるどころか、すこしずつはげしくなってゆく。日ごとに、週をかさねるごとに、ひどくなるのだ。気分はますますゆううつになり、心の中はますますからっぽになり、じぶんにたいしえも、世の中にたいしても、不満がつのってくる。そのうちにこういう感情さえなくなって、およそなにも感じなくなってしまう。なにもかも灰色で、どうでもよくなり、世の中はすっかりとおのいてしまって、じぶんとはなんにかかわりもないと思えてくる。怒ることもなければ、感激することもなく、よろこぶことも悲しむこともできなくなり、笑うことも泣くこともわすれてしまう。そうなると心の中はきえきって、もう人も物もいっさい愛することができない。ここまでくると、もう病気はなおる見こみがない。あとにもどることはできないのだよ。うつろな灰色の顔をしてせかせか動きまわるばかりで、灰色の男とそっくりなってしまう。そうだよ、こうなったらもう灰色の男そのものだよ。この病気の名前はね、致死的退屈症というのだ。」
モモのからだを悪感がはしりました。



10年ぶりくらいにモモを読みました。
今SNSをとりあげたら致死的退屈症になる人はゴマンといるんじゃないかなあ。


p.95
けれど、時間とはすなわち生活なのです。そして生活とは、人間の心の中にあるものなのです。
人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそって、なくなってしまうのです。


良いね。

9.22.2013

大学4年間の意義を求めて。

自分との対峙

院へのPersonal Statementを書くために
自分の経験、蓄積、将来像を書き出し
実際の合格者のPersonal Statementを読み込み
どうしても拭えない感情にぶちあたった。

常にないふりをしていた不安がある。
不安のない人はいないのだから
自分の不安、未熟さ、それは問題ないのだと言い聞かせてきた。

あるいは強さの欠如。
強い意志、自分を突き動かす動機が感じられない。
私はなにをしてきたのか?
私はなにをしたいのか?


背き続けた弱さ

小学生の頃から塾に通い、都内の私立中高一貫校に通う。
皮肉にも器用な性格故にうまくこなすことが得意だった。
なんでも楽しめる性格が功を奏して順風満帆の18年間+浪人の1年間。

晴れて合格した先の京大で待っていたのは、レールのない4年間。
レールらしいレールを求めて部活を始めるも相性が悪く10ヶ月で退部。
その後、見たことのない自分との出会いが待っていた。

正解がない恐怖を初めて味わった。
好きなひとやものがない世界を初めて知った。
なにもしない毎日を初めて過ごした。

家族は遠方で、友達とは気が合わず、学校にも行かず、
ひたすら自分の殻にこもっていった。
自分が何をしたいのかわからなかった。
自分がなぜなにもできないのかわからなかった。
自分の弱さを初めて知った。
1人じゃ何もできない。意思もない。強みもなにもない。
これが、自分だった。


闇の中の小さな光

弱さに怯えながらもひとつだけ続けたものがある。
フェアトレードのサークル活動。

2回生の5月に興味をもったとき
これを離してはいけないと感じた。
大学に入ってから初めて興味をもったものだから。

これを離すとまたなにもなくなってしまう。
それが怖くてひたすら打ち込んだ。
弱い自分はいつでもそばにいて隙をついてはすぐに出てきた。


転機

その後3回の夏にUC Davisに3週間渡航した。
その3週間が私を再び道の上に戻してくれた。

学ぶことが楽しくて、誰と話しても楽しくて、英語を使うのが楽しくて
生きるのが楽しいということを3年半ぶりに思い出した。
何でも楽しめる自分、強い自分が戻ってきた。
みんなが弱いことも教えてくれた。
初めてできた仲間だった。

そして大学生活残りの1年半をこの大学で強く生きようと決めた。


残りの1年半

まずは足りない単位を補うために4回前期まで学校に通った。
授業をまじめに受けて、授業からなにかしら得るようになった。

そしてフェアトレードの活動も今まで以上に力を入れた。

大学生らしく京大生とたくさん遊んだ。

個人で途上国へ渡航しようと思いグラミン銀行のインターンに参加した。

卒業論文を始めた。
大学生になって初めて勉強することが楽しい。

ようやく人並みの学生生活を送れるようになった。


やりのことしたこと。

交換留学をしたい。
できれば1年くらいいて、語学または経済学を勉強したい。
学部のうちに語学を修めておきたかった。

途上国経験をしたい。
1ヶ月以上の滞在はしたことがない。
NGOのボランティア等で1年ほど開発の現場に携わり
実際に何を学ぶべきなのかを肌で感じたかった。
また今後のモチベーションの形成にもなると思う。

フェアトレードサークルを続けたい。
京大内でのフェアトレードの普及にもっと尽力したかった。
京大生は理解があるから広範な普及は不可能ではないし
色々なメソッドを確立してきたところで引退なので惜しい。


わたしの大学生活

その半分以上は鬱状態でなにもできなかったように思う。
それでも弱さに出会えたことはとても大きな強みになる。

今まで不登校の子の気持ちも劣等生の気持ちもわからなかった。
あわない人がいることも知らなかったし
他人が自分にここまで関心がないことも知らなかった。
人間の負の気持ちというのを一挙に学び取ることができた。

自分で思うのは、前向きになれない人に対して
以前より優しくなったということ。
そして、うまくいかないことに対して
自分をうまくコントロールできるようになったということ。

それでもやはり、やり残したことは大きいのである。
開発で院に行こうとする人という基準で考えると
私はまだまだスタートラインにたったところで
これから院で吸収することの素地を作り上げたいというのが本音だ・・・

あと2年間、京都で学生をすることも視野に入ってきたかもしれない。

追記:結局京都は出た!

8.26.2013

review for ARUN social business contest 2013



i participated in ARUN social business contest held in Cambodia on Aug 4-10.

there were two purpose to attend this;
1) to experience to plan social business
2) to make it help to decide future research area; business or agricultural economy?

and each result for them is like this

1) throughout this program especially last 3days we deeply engaged in planning, i strongly felt I CAN BE A SOCIAL ENTREPRENEUR.
it seems to be easier than i expected. it is always bad point of me to evaluate my value worse and make everything hard to attain. however, this experience turned the foolish thinking and encouraged me to have self confidence.

there are two reasons that i think i can be.
first of all, there are too many problems in Cambodia that even three days research conducted by students revealed a lot, at least 5 for each group. it seems rather easier to find out problem or people in need and to help them than japan.
secondly, there are numerous entrepreneurs who succeed in Cambodia and enjoy their business, i mean there life. they are so impressive and admirable for me. and i feel sympathy with them than Japanese office workers. doesn't it mean that i am one of 'this side' of people?

so my trial to attend biz con and use it to build my career was successfully achieved.

2) then, how about my major?

to say honestly, i prefer urban business than rural business because i was grown in metropolitan Tokyo!

however, as a research point of view, it was really interesting to go and see around rural area, the life style of farmers and how farmers cooperative works. i was clearly excited at many things there and can't help telling it to my peers in class because it was interesting.
so one result is this:
- i should study rural development especially agricultural economy.

i think i can't completely engage in rural matters all alone if i started business.
but i still believe that i can work there if i work with urban youth, who has same ambitions with me.
i met a lot of such students this time and i deeply believe them that we share a same goal.
what i wanna say is i wanna keep studying rural development.


these were my purpose and achievement.

of course there are numerous extra learnings from this program.

probably biggest thing is 'friendship'.
it is easy to say we are friends, but this time it literally truely means that
because i've never seen students group like them, who share same goal,
who are serious to work on that and who are actually working on them in some ways.
it was so natural that we talked about problems in Cambodia even at the first day we met.
they are all inspiring and encouraging still now through Facebook.
Also it was first time that i could so deeply believe in my team in biz con.
that may be because that we spend whole three days together and
shared all difficulties and happy time related to our plan.


also there another thing but i stop writing what i learned here
because these three are the most important things.


finally, i'll introduce what i planned there.

our service is to help students who are economically challenged, have inequality in opportunity and from rural area to get internship or volunteer chances which follows to their future career.

in particular, we provide three services.
1) Web based platform 'intervo' (was the name): it is similar to japanese job search engine.
2) consulting system. many students don't know where and how to start searching interns, even they know them, sometimes it's difficult to match there exact interest to the programs. so we provide consulting service to solve those problems together.
3) training service. (paid) since lots of students are afraid that weather their skills meet with qualification  or not and have worries about other technical issues, we provide simple training which includes whole preparation to internship or volunteer program so that they can start their program smoothly and without  basic problems.

the background of this service is;
in Cambodia, job searching market is still depended on connection. so that less opportunity students like from rural area find it difficult to find out a good job even though they are skilled and well-trained. one reason is this.
another reason is that even though there are enormous youth in Cambodia, few of them are skilled and gradually mismatching between companies who want skilled student and students who don't know what they should learn. training for them solve this problem and furthermore, help economic growth in Cambodia.

that's all.
we couldn't complete financial part.


these are everything i got from that program.


i can't appreciate anymore to everyone i met there.
thank you so much.

8.05.2013

Day1

今日の予定
8時カンファレンスルームにて集合、アイブレ。
10時Friends International訪問
13時お昼
14時半プレゼンテーションおよびディスカッション
19時よるごはん
おわり。

・アイブレ
チームメンバーと出会う。
アイブレは普通な感じ。
あんまり覚えてない。

・Friends International
1.概要
ストリートチルドレンのケアをする団体。
メインプログラムはカンボジア(プノンペン・シェムリアップ)、ラオス、タイおよびインドネシアで展開している。
他にもエジプトやホンジュラスなどではパトーナーと組んで活動している。
名前は現地語で「友達」という意味の言葉を使うため国によって異なる。

2.対象
彼らの子どもの定義は「0歳から24歳」。
一般的には18歳まで、20歳までと言われるが、中には事情により進学が遅れている子もおり、その子たちが卒業する年齢を考慮して24歳までとなっている。(進学の遅れとは、例えば9歳から小学校に入学するなど)
彼らが現在の状況から抜け出すことを目的として活動している。

3. 活動
①15歳以上の子ども
彼らには職業訓練を行い、フレンズを出たあとに安定した収入を得られる手だてを授ける。職業訓練所には9〜10種類ほどのプログラムがある。(料理、ウェイター、工務、洋裁、美容関係、理髪、電気、電子機器など)
②14歳までの子ども
14歳までの子どもが職につくのは児童労働にあたるため、彼らの親に働きかけることになる。
(a)両親とtransrelationshipを結ぶ
両親のところへおもむき、子どもを学校に通わせるように説得すると同時に、親には職を与える。家の中でできる職を与え、子どもが親と過ごせるようにする。親の職業訓練もフレンズが行う。
(b)microenterprise
グラミンで聞いたような…
職業訓練ではなく、新しいビジネスのスタートアップを手伝う。これは自分でものづくりをするわけではなく、例えば砂糖の精製や、小売り業務などについて。

4.ほか
・トレーニングは18〜24ヶ月くらいかかるが、個人の状況に依るところが大きい。
・新たな技術を身につけるために、一度フレンズを卒業した子どもが戻ってくることもある。
・親とパートナーシップを結ぶときは、Case Managementを開き何度も話し合い、説得する。職業訓練などの最中でも開いており、フレンズとの関係がなくなるまで続くが、途中で逃げたりして閉じることも多い。
・子どもはout reachによって探す。実際に毎晩巡回する。
・コミュニティーにおもむき対象となる子どもを捜すこともある。
・回転率は25%ほど。収入2.3million中0.5millionが純利益らしい。

5. FRINDS'N'STUFF
職業訓練等により作られた商品を売るお店。
しょうもないものを作るつもりはなく、市場で競争力のある外国人旅行者向けの商品を販売している。
ソーシャルビジネスも市場では競争的でなくてはならず、このシステムを従来のビジネスと同様なものであると説得することが大切である。
' If it works, it's fantastic!'
レストランの経営も同様のコンセプトのもと行っており、資本形成の重要な機会となっている。

・15時、プレゼン。
私は準備不足故かなりカジュアルなプレゼンになった。
っていうか思ったのと違っていた。(笑)
5つのプレゼンを通してソーシャルビジネスとはなにか
ソーシャルインパクトとはなにかということを
各国の学生の子たちと議論をかわし合ったため
お互いの共有認識ができたように思う。
おもしろい時間だった。
その後チームにわかれて少し話し合った。
私たちはそれぞれがソーシャルビジネスのアイディアをもちよって話していた。

眠い、寝る。

8.04.2013

KURATA PEPPER

プノンペンにあるKURATA PEPPERという胡椒やさんにいってきました。
あまり意図せず行ったんだけどたまたまオーナーの倉田さんに出会って色々とおもしろい話が聞けたからまとめます。

倉田さんはカンボジアでジャーナリストとかになろうかと思ってカンボジアに来たけれど、そもそも産業がないので興そうと思って色々していた結果現在の胡椒屋に至る。

カンボジアの南端、コッコン州スラエインバルに契約農家を持ち、加工等は自分たちで行っている。

以下聞いたことまとめ。

・カンボジア産が「ベトナム産」として輸出されている現状
ベトナムだけではなくタイなど周辺国産としてカンボジア産の胡椒が輸出されている。
例えばタイでは胡椒輸入量1000トンと言われているが、
実際は3000トンほどカンボジアから輸入している。
理由は、カンボジアには市場・加工工場がないために胡椒を加工して輸出できないから。
さらに、プノンペンから遠い地域ではベトナムのホーチミンの方が市場として近いため、農家はそちらに売りに行くし、ベトナムのバイヤーがカンボジアに買付にくる場合もある。
カンボジア産胡椒を輸出するためには、市場と加工技術の確保が必要となる。

・カンボジア産胡椒へのこだわり
カンボジア産の胡椒はインドネシア種に近いものであり、固有のものである。
しかし戦争などでカンボジア胡椒の伝統が途絶え、
現在は多くの農家が品種改良されたインド種に近いベトナムの胡椒を栽培している。
そこで、伝統的なカンボジア胡椒を育てぬいてきた農家に出会い、
その農家さんとともにカンボジアの胡椒の振興を始めた。
ちなみにカンボジア胡椒のほうが香りが高い。

・国際コショウ共同体について
国際コショウ共同体はインド、マレーシア、インドネシア、ベトナム、スリランカ、ブラジルの6カ国が加盟している胡椒に関する共同体。
国際コショウ共同体は胡椒の価格調整を行う団体。
過剰生産の年は備蓄するなどして価格の暴落を防ぎ安定的な収入と供給を支える。
ちなみにマレーシアでは胡椒の流通制度が発達していて、
農家が政府(?)に収穫した生豆の胡椒を持って行くと
選別、加工、輸出を一挙にやってくれるらしい。
これはマレーシア政府が胡椒産業を重点産業として扱っているからこそ!
カンボジアでは国が胡椒に力を入れていないこともあり、
胡椒生産量はスリランカに次ぐ第7位にも関わらず
国際コショウ共同体には加盟していない。

・農協について
カンボジアには全国的に組織立った農協(全農)のような機関はなく、
各地で自主的に組織された農協が3000ほどある。
このうち成功しているところでは信金を設立したりしているが、
基本的にはトラクターを共有するなどのレベル。
ちなみにコショウに関しては今年の2月にカンボジアコショウ生産者の会が開かれ
コショウ生産に関わる人たちが情報共有する場ができてきつつある。

・有機農業認証制度について
カンボジアにはCOrAA(Cambodian Organic Agriculture Association)という認証制度がある。
一般の国内消費者は有機に対する関心がまだ薄く、
この認証を重視しているのは現在高級な国内消費、例えばレストランやホテルなど。
輸出用でもないらしい。
国指定の制度はまだないため現在促しているところらしい。
ASEAN域内で有機農業統合の動きはでていて、そこにのっかれるような輸出用制度の確立も望まれている。
ちなみに日本の有機農業は完全な無農薬ではないためJASはCOrAAよりもゆるいらしい。

7.28.2013

Social Business Forum Asia in Osaka 2013

に行ってきました!
午前の学生向けセッションはパスして
午後の社会人向けセッションに参加。
(学生向けはどうせがんばって的なあれだろうから)

プログラム
1. ユヌス氏のお話
2. 佐竹氏のお話(グラミン雪国まいたけの方)
3. ダンカン氏のお話(外人ね)(Dana Asiaの方でシェムリアップで養鶏プロジェクトされている)
4. パネルディスカッション

ユヌス氏のお話だけ載せるね。
太字は気に入ったところです。
英語で話してたから拙いながらも英語です。

* He started his talk with the financial crisis in 2008.
Something happened in only one city suffer all over the world.
People couldn't believe it to happen, but it happened.
Here some questions come up.

1. Why it took place?
Governments all over the world worked for creating money, especially rich countries.
Some people in financial market were actually gambling with sorts of money.
Then when they failed at gambling, it started falling down.

2. Should we go back to the same track before it happened?
He strongly said NO.
If there is no change, it will happen again.
However, in the other words, disaster is opportunity to redesign everything!

At the same time financial crisis happened, some other crisis took place as well.
Energy crisi, oil crisis, food crisis and 
other ongoing problems like poverty and environment and so on...
He said that these crisis are all rooted in one point.
The point is wrong way of economy and narrow interpretation of human being.
People is considered as always being eager to create money, but that is distorted thinking.

Money is a mean, not an end.
Fundamental education is to teach 'finding purpose', not just creating money.
Human is not one dimensional, but multidimensional.
Open it up and find way to solve problems. 
Then he started with what he could do at that time. 
(sorry this part is a bit distorted by my recognition of him from books)

(Then he started talking about Grameen Bank)
The purpose of bank is not making profit, but lending money.
So GB lends money to everyone.
Conventional bank is a bit wired because it puts emphasis on making profit than lending money.
(This example really makes sense to prove his theory explained above)

* Social business aims at solving problems.
Social problems have a same nature, poverty, health, environment or others.
If you have a plan which works on one country, 
it means that you got a solution for huge problem.
If you can help one person, you can help millions of persons.
It is true because what you have to do is only repeating it for millions of times.

Poverty is not created by poor people, but by system itself.
We need to create system.
And we can do it piece by piece.

だいたいそんなかんじでした。具体例とかは省略。

目的の話のときにグラミンバンクの例と重なってすごく説得力がありました!
あとは、1人助けられたら繰り返すだけで何人でも助けられる論も!

話を聞き始めて数分はずっとバングラデシュの記憶とか刺激が反芻されて
最近進路について前に進んでいない感を感じてたこともあり
少し泣きそうになりました。
バングラにいたときはグラミンの影の部分についても色々話したりしたけど、
やはりユヌス氏はすばらしい。

It was really really inspiring, encouraging and impressive talk!!
背中を押されたし、念も押されたし、でもすごく明るい気持ちになった。
彼の話し方はとても1人1人の可能性を信じている様子が現れていて、
例えば「貧困は人のせいではなくシステムのせい」というときも
「(Is he incapable? or unprepared? No,) He's capable! and prepared!」
って言ってて、それがすごく力強くて私も元気づけられた。
なぜかヨーロッパの失業にあえぐ若者に代わって私がそう言われた気分だった。

できることからでいいというのがまたありがたくて、
大きい問題を解決しようとしなくていいというのがとても救いで、
今の私なら卒論をやること、Ethical Cafe mapを作ること、
それに全力投球すればいいんだというのはわかっているんだけど
なかなか自分の無力さを感じていてふわふわしていたから、
身をかちっと固定してくれた感じ。助かった。

そしてなにより!!!!!!!!
講演後にそっこーホール出て外にいたユヌス氏にアタックして
'I went to Grameen Bank internship this spring!!'って言ったら
'Oh, then come back to Bangladesh!'って言ってくれて
写真とってって言ったらスタッフが「ここじゃだめです」って言ってきたのに
ユヌス氏 'Why not? let's take a picture here!'って言ってくれて
その場の流れをとめて写真撮ってくれたー!!!!!!!
私迷惑だったけどアタックしてよかったーーーー!!!!!!
その優しさに感動した!!!!!涙!なみだ!
我ながら最近で一番興奮しました。
ウェスティンホテル(であったんだけど)出るときもにやにや。
私がんばるよ!!!!!!


最後に2点ほど。

●パネルディスカッションでおもしろい質問がありました。
「ソーシャルビジネスで起業するときに会社法はどう関係する?」
株式配当などを考えると難しいのではないか、という話。
さすが社会人のセッション。質問がリアリスティック。
回答としては、定款の中に7原則(後述)を入れておくことと、
株主配当に関しても株主間協定書に記述しておくことで問題はないそうです。
それゆえ、上場企業がソーシャルビジネスを行うのは難しいので
子会社や合弁会社を設立して行うのがメジャーらしいです。

●ソーシャルビジネス7原則について
こちらのリンクを参照。
ユヌス氏が作った7原則です。
世の中には他にもソーシャルビジネスの基準があるそうです。


以上レポートでした。
とにかく最高でした。(笑)

7.25.2013

自省、バランスをとることの難しさ。

5月の終わりに肌の調子がよくなってから、この2ヶ月はよく遊んだと思う。
全力で遊べること、全力で遊びたくなるような仲間が京都にできたことを思うととても嬉しかった。
(人生史上最もふさぎ込んでいた2回生のときは、遊びにいくことすら億劫だった。)
それに卒論もTOEFLの勉強もしてきた。
TOEFLはそれなりの結果がついてくると思っている。(来週でるのかな。)


遊ぶということ。
それは昔より少し形がかわったように思う。

ただ単に楽しむというよりかは、新しい経験を得ることが増えた。
遊ぶというよりかは、新しい世界をたくさん見る行為。
フェアトレードファッションショーを見たり、座禅をしたり。

たくさんの刺激的な人と会ってエネルギーをもらう時間。
たまに私と会って元気になってくれる人もいる。
培ってきた私も無駄ではないなと、少し安心して嬉しくなる。

3月にバングラで思った「京都にいても英語をしゃべろう」というのも
なかなかたくさんの「遊び」の中で達成されていると思う。
京大に在籍していてこの前期は初めて外人の友達を作って遊んだ。

そして色んな人を喜ばせる行為。
誕生日の子がいる度に西へ東へおもむきメッセージを集める。
いつも元気をくれる友達に思い切り感謝を伝えられる機会だから。


京都にいる時間が残り少ない分、
この土地でできること、このメンバーでできること、
全力で取り組んで行きたいと思っている。

でも、この京都の生活が終わった途端に全く違う生活がスタートする訳ではない。
今の私の延長の上にしか将来の私は成り立たない。
ここの時間を全うすることも大切だけど
次の時間への準備をすることも同じくらいか、それ以上大切。

勿論ここでの全ての経験は私を作り出すし、必ずどこかでつながるけれども、
私に夢や目標があるのであれば、そこへ舵を切らないと
誰もそこへは連れて行ってくれない。
私が変わりたいと私が思うのであれば、私が私を変えなければいけない。

大学生活でわかったことは、誰も私を見ていないこと。誰も私を気にしないこと。
いい意味でも悪い意味でも。
担任の先生はいないし、どんな生活をしていても怒る人もいない。
サークルがうまくいってもたいていの人の記憶には残らないし次が待っている。

ずっと人と比べて秀でてる点を見つけてはほめられて
劣っている点を見つけては必死で追いつこうとして生きてきた私は
すがるものをなくした。
ずっと他人から評価されてきた私は誰からも評価されなくなって
そうして恐ろしい孤独と自立と戦ってきて、共存する術を漸く見いだしたところ。

最近は「なんとなくすごいね」を手に入れたところ。
たくさんの「なんとなくすごい」学生のまねをして生きてきた結果。
流行においつきたくて、仲間はずれにされたくなくて生きてきた結果。
常に「みんな」と言うような曖昧な存在を追ってきた結果。
フェアトレード以外の活動に私の自主性はないと断言してもいいくらい。
結局「1人でも生きて行けそう」って言われる私は全く1人では生きて行けなくて。
そんなみみっちい気持ちで生きてきた私が強くなれるはずもなくて。

強くなるには自分の道を生きると決めるだけの強さがいるなあと思うこのごろ。
たくさんの、なまぬるい、居心地のいい「みんな」を捨てて自分で立たないといけない。

そしてそろそろその時期なのではないか?と思う。
人から「なんとなくすごい」って言ってもらえなくていい。
ただ、自分が誇れる自分のすごい所があればそれでいい。
自分で自分を認めるためにがんばらなくてはいけないと思う。
その成果で得た社会的地位というのにきっと私は満足するから
今自分のまわりのいる人の関心を集めるのはやめよう。
楽しそうなツラするのはやめよう。
まじめに実直に生きよう。


だめだ、まとまらない。
色んなファクターが私に影響する。難しい。


追記
高校のときに言われた言葉
「何かを選ぶというのは何かを捨てるということ」(松本先生)
「勉強は孤独な作業」(高田先生)

ボート部をやめようと思っていたときの言葉
「物事に優先順位をつける」(ますみさん)

3月に言われた言葉
「周りをシャットダウンして、自分の声を聞くこと」(愛さん)

自分が一生関わっていける人なんてそんなにいないんだから
別に今までのつながりを保てないことに焦る必要はない。
出会う人にはまたどこかで出会うのだから。

怖いけれど、自分の信じた道を突き進む勇気をもつ強さが必要。
本を読むこと。なぜこれができない。優先順位が低いからだろう。
これを中心に生活を組み立てれば良い筈。
全てはそれから。

おもしろい、興味あることにどんどん飛び込んで行くのもおわり。
キャパないんだから。
とりあえず、


5.29.2013

am I in a right track?

最近出会ったブログで心を突かれたものがあったので、突かれるがままに思ったことを書いてみる。

例えば今、途上国のコットン農家について知りたいと思う。去年の夏に見た「モンサントの不自然なたべもの」(だっけ?)ではインドのコットン農家がたくさん自殺している様を描いていた。理由はモンサントの売りつける品種+除草剤によって畑が単一になって不作のときに収入が無いに等しく除草剤を飲んで死亡。それに加えて他で得た知識では、アメリカの補助金による安価なコットン輸出が途上国の比較優位のあるコットンよりも競争力があるために途上国のコットン農家は補助金の出ている先進国コットン価格と同じにするか売らないかを選ばなければならない。他ではまた今度は普通に搾取されている農家も存在しているとか。

そしてそのコットンはというと製糸のち縫製工業へ。布になる過程についてはあまり耳にしない。縫製工場では日夜女工が人権無視の状態で働かされ挙げ句建物のせいとかで死ぬ。たくさん死ぬ。そんなふうにしてできた服を私たちは着る。

これがフェアトレードの世界で描かれている現実。

一方日経ビジネスなんかを読んだらどうだろう。
メコン流域の労働賃金が中国の4分の1程度!生産拠点は中国からメコン流域へとうつる。しかもその労賃は試算によると10年間はいまの中国を抜かないそう。夢の生産領域。これからも人件費を抑えながら安価な良品を供給し続けることができる。消費者を満足させるサプライヤーであり続けられる。一方でメコン流域の働き口を増やし、彼らの所得増加に貢献することもできる。うぃんうぃんの関係。
もちろんそのためには、中国よりもインフラ整備が整っていない(一般的にね)メコンの開発から始めなければならないし、現地に人員を多く送り込まなければならない。現地開拓した企業がこれから乗り越えなければならない困難は多くあるだろう。それでも進出するだけの価値はあるようだからきっと優良な日本企業はあまたの障壁を乗り越えてメコンを生産拠点としてジャパンスタンダードを輸出し続けるのでしょう。そのためにも欧米より早く進出し、長期的な視点で現地との関係を築き始めることがまずなによりも重要である。

これがビジネスの世界で描かれている現実。

多分このギャップが今わたしを大きく惑わしているんだと思う。
どちらが本当?どちらも本当?どちらも嘘?

ビジネスの世界で描かれている流通経路のどこでフェアトレードの世界で描かれている人権侵害がおこっているのだろうか?

思うに、フェアトレードの世界で描かれている、人権無視の世界。そのような流通経路。に不満をもった人たちがオルタナティブな経済を築こうとフェアトレードとかなんだとかが始まった。people treeもうまれた。

その流通経路とビジネス界で言われている流通経路、どこか接しているはずだよね?なぜお互いが別の世界で描かれているんだろうか。そこにすごく矛盾、齟齬、誤解、気持ち悪さを感じる。なんだろう、むずがゆい。お互いにいいところしか見てない。どこかが接しているはず。

なぜこんなことを思ったかというと、最近の縫製工場見たさやコットン農家みたさがどこからきてどう流れて行くかを自分の中で考えてみたんだ。
なんで見たいかって、やっぱりそういう事故があったのは大きいと思う。そしてpeople treeとかINHEELSとかに同意しているから。服が好きだから、そういう労働環境で作られたものは減らしたいし、自分の着ているものに自信をもちたい。そしたらわたし将来はフェアトレードの服屋をやるの?って思いに至ったのさ。

でもそれってなんか違うって。

一方で日経を読みながら日本企業のアジア進出の記事にわくわくする自分がいる。アジアの今後の経済規模予測を見てどきどきする自分がいる。これからはアジアが中心なんだと思うと自分もその輪の中に飛び込みたいと思うし、東南アジアや南アジアの人たちと一緒に働いて、わたしの行った街に貢献したいという思いがこみ上げてくる。どんどん便利になって、みんな仕事について、田舎ももちろんあるけど、都会がきれいになって、ゴミ処理とかもできるようになって、治安もよくなって。

でもこれは社会の上辺だけしか見ていないよねって。
貧富の差の拡大を促すばかりな気もする。
それでも貧困層は変わらずいると思う。

ここで疑問。
私はアジア諸国の経済成長を願っているのか?
アジア諸国に蔓延する貧困問題を解決したいのか?
両者はトレードオフなのか?

最後の質問に否と答えたい。
多分願っているのは、経済成長、貧困削減に繋がる経済成長モデル。

多分だけど岡崎さんみたいに仕事ができたらいいんじゃないかって思う。彼の言わはることが全て実現してるのか知らないけど、モデルで言ったら一番夢に近いんじゃないかな。


少し整理されたかもしれない。


5.16.2013

Why 30 is not the new 20

watched TED talk shared in facebook cuz the phrase attracted me.
"why 30 is not the new 20"

http://www.ted.com/talks/meg_jay_why_30_is_not_the_new_20.html?source=facebook#.UZRGH15dshc.facebook

it was absolutely good, encouraging and helpful talk for me.
after watching it, i did shadowing twice for english practice and both time i couldn't help tearing at this part shown below.

--- "now five years later, she's special event planner for museums. she married to a man she mindfuly choose. she loves her new career, she loves her new family, and she sent me a card that said "now the emergency contact blanks don't see big enough."

--- "Thirty is not the new 20, so claim your adulthood, get some identity capital, use your weak ties, pick your family. Don't be defined by what you didn't know or didn't do. You're deciding your life right now. 

i'm really really really regretting how i spend the last three years in my college.
the time when i realized what i have to do for my future is three years later than other students around me who already do something, repeat trial and error and finally get succeed. i feel like i'm nothing. it is too late.
so that's why i mean this is encouraging talk. thank you for meg jay and i start making effort right now.

4.09.2013

USE YOUR FREEDOM TO PROMOTE OURS!



京大国際フォーラムという団体主催での上映会にて、「The Lady アウンサンスーチーひき裂かれた愛」というアウンサン・スー・チーさんが母の危篤の後にビルマにわたってから2011年に新政権が発足するまでを描いた映画を見ました。


直前にTRANSIT(実家に転がっていた)を流し読みして予習していたのですが、当たり前だけれどその通りの展開でした。文字で読むのと映像で見るのでは感じ方に大きな差がありましたが。



何よりも恐ろしいのは、未だに軍事政権が続いているということです。民政移管したものの未だに議員の多くは軍部出身から成り立っており、1980年代からの政治犯と呼ばれる人たちが2100人ほど刑務所に入れられ、拷問や虐殺を受けている状況だそうです。

カンボジアに行ったときに見たポルポト政権下の虐殺の様子も、この映画で描写されていた虐殺や拷問の様子も、見るだけで苦しくなります。日本にいるとこれは歴史上の出来事で今はもうないような気がするのですが、それがミャンマーでは未だに続いているという事実が信じられません。信じてるけど。

私は開発関係に進みたいと思っているけれども、平和構築だとか紛争解決だとか、世界史や地理で習うようなことにはとても疎いので学ばなければならないと思いました。本当にそういう単語が現実に必要なんだなあというのを改めて感じました。


スーチーさんは1991年にノーベル平和賞を取りました。それは、夫が世界の目をビルマの彼女に向けさせようと、そして少しでも彼女の助力になろうとして努力した結果でもあります。これを見て、ノーベル平和賞にそのような使い方があるのかと感心しました。使い方と言っては失礼かもしれないけれども、平和賞が直接寄与する機能を持ち得るってなんだかすごいことに感じます。
情報過多の今の時代に、世界中の人の意識は小国の内政にまで届かないと思います。世界的な賞の数々が、このような賞の力を本当に必要とするところに届くといいなと思いました。

うーん、この夫婦、もしくは家族に授与されてもよかったんじゃないかなあ。それほど夫婦の絆、愛が強かったです。そういうコンセプトで作った映画だからそういう感想をもってしまうんですけど。



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将来は開発関係に進みたいけれども、このように人権が侵害されている人たちを助けるというよりかは、ビジネスでともに利益を享受しようというスタンスで取り組みたいと思っていました。というか、人権どうのという話に疎いし、そんな正義感を持ち合わせていないから。でも今回ので少し興味もったかな。勉強しようと思います。

あとサッチャー元英国首相の訃報が昨夜ネット中を駆け巡っていたけれども、「マーガレット・サッチャー、鉄の女」も今度見ようと思います。これを期に20世紀の偉人をもっと勉強しよう!そしてRIP.

おわり。


3.25.2013

Kazi&Kazi report


(photo by http://www.facebook.com/KKTea.BD)


 March9, the day before I (was supposed to) leave Bangladesh, fortunately I could met and had dinner with CEO of KFS, the company running organic tea garden. I think everyone who visits Bangladesh knows this company because of their most famous product, Kazi&Kazi organic tea. (http://www.kazitea.com/index.html)

As I myself belong to Agricultural economy department, I'm really interested in organic farming in Bangladesh. So I'm glad to have met her.

 Actually I wrote three pages report about what her told me, but it is too long to post all of it here so I'm gonna explain it briefly.

   Its most famous product is K&K, organic tea. It has its own distribution route including tea garden, collecting natural fertilizer system and supermarket to sell its organic products. It is said that this ordinary route makes cost cheaper than usual organic products.
   In terms of development economics, the most important part of the route is the way to collect natural fertilizer, cow’s composed. Instead of owning cow, it gives cow to community women and contributes to empower them by buying natural fertilizer and milk from them.
   Before giving cow, KSF provides meeting at least 4 times, explain the system specifically to women and make them understand the system. Also it visits all women once a week for buying the milk and composed and consulting their problem about farming.
   Now KSF has 1 field worker, 6 branches and works with 2000 women living in rural area.


cows (photo by http://www.kazitea.com/gallery.html)



There are two things that are most impressive for me.
 The first is this system makes rural people recognize the advantage of agriculture and encourage them to work towards the rural area. It prevents rapid urbanization that is becoming a big problem in many developing countries and preserves natural environment and traditional culture villages holding for a long time. 
The second point is by providing not money but job, it encourages women empowerment more efficiently than conventional micro finance. One problem of previous micro finance is even if they get money, some of them cannot handle it or do not know how to invest for sustainable income and just big amount of loan is left. Instead of it, this system helps women to have their occupation and indicate the way to earn money sustainably.


  She told me much more like the difficulties, advantages and specific systems.

   Now I'm thinking about going Bangladesh again to learn this sustainable social business from KSF. I think it can be wide-spread business around developing countries. Someday I wanna put this business in practice....

  and I wish I could write much better English...I should make an effort.




3.10.2013

The reality of child labor in Old Dhaka

本題の前に…
バングラデシュで見てきたもの、日記形式でなくまとめて書こうと思ってます。

さて、バングラの最終日には友達から聞いた児童労働の現実を見ようと思い、オールドダッカに行きました。友達いわく、適当に歩いていれば見つかるとのことだったので散歩気分で。

とりあえずピンクパレスの前に集合♪
今日は日本人3人組で行動です!


 そして(ぼろぼろでぐらぐらの舟に乗って)川を下ります。


 水にゆられるのは気持ちがよくてすき〜
でも言われて気づいたのだけど、水面はぷくぷくとへんな気体がわきあがっていました。におい的に硫黄っぽかった!笑

そして適当なところでおりた。


 これはなんか貝を干していてキラキラしてきれいだなって思ってたら大量のハエがわいていたっていうまた汚い話。笑

降りたところはスラムに近い汚い街だった。わたしたちが普段いるMirpurとかGlushanの町並みとは大違いの、小さい路地がたくさんあるところだった。そしてゴミ捨て場にはゴミをあさる人。(わりと見慣れてきた)

細かい路地がたくさんあって、最初に出会ったのはスラム。(多分)

 人様のお家なのだけどお邪魔します〜
この狭い土地の中にたくさんの家が並んでいて、なんと写真の奥の方には牛を飼っていました。私たちが行くといやな顔せず(写真ではだいぶ嫌そうな顔やけど涙)みんな出てきてくれました。
女の子はみーんな小さい子を抱えておもりをしてます。
ある程度コミュニケーションとったところでばいばい。
どんのばーい(ありがとう)と言いながらアメあげて出て行きました。

そしてまた児童労働探索に!


案内人っぽい顔してるけど普通に去って行った子たち。笑

その後は建物はいろうとして大人にとめられたり、なんでもないとこばっかり通っていて少し諦めかけていたのですが、ふらっと入った家で見つけました!児童労働!(嬉しそうに言っちゃいけないけど)


車のおもちゃのパッキングをしている子たちです。
山のようなおもちゃをずーっとパッキングしてました。
とりあえず私たちもやらせてもらったけど、彼らのほうがうまかったです。
そうこうしていたら外から大人の人たちが来たので(外人の私たちを見たくてきたとみた)色々質問してみました。
この子たちは15歳前後で、学校に行かずに毎日働いているそうです。
この日も休日で、他のところで「工場はやってないよ」と言われてたのですが、彼らに休日は関係ないようです。

もっと色々質問すればよかったと今更後悔…

その後、大人が「工場行く?」とか言うのでありがたく案内してもらうことに…
彼は大きめにみえますが、多分昔からずっとここでバングルを作ってるのではないかなって思います。
彼もバングル。私が近づこうとすると、危ないから離れてろと言われました。危ないことさせてるんだねー。

これはバケツを作っているところ。
なんかプラスチックの破片をとかして型をとってバケツにします。


これはビニールバックを作っているところ。10歳くらいの子が働いてました。

いずれもみんな毎日働いていて、学校には行ってないそうです。
見た限りではプラスチック製品に関わるものが多かったです。
プラスチックの破片を溶かして型をとる大きな機械でバケツなどのものを作ったり、小さな部品を小さな機械で接合してビニールバックやバングルを作ったりしてました。

細かい質問をし損ねたのが本当に後悔です。
賃金はいくらか、子ども達に夢はあるのか、親はどうしてるのか、家はあるのか、食べ物は困ってないのか、などなどいくらでもある。。

途中で17歳の子がわたしたちに加わってきて、流暢な英語で話しかけてくれました。彼の英語はバングラの中ではとてもうまいほうだと感じたのですが、こんなに教育された子がいる一方で日々働くしかない子もいて、同じ場所で生活してるのかと思うと社会の格差を感じました。

バングラ人のよくないところで、目先のことしか見えない節があります。
これは教育が不十分だからだと私は思っています。
教育を受ければ、先のことを見通す力、安定した生活を営む方法などを学べて、自分の生活をマネジメントできるようになると思います。そのとき初めて人に言われてただひたすら毎日同じことを繰り返す労働から抜け出せる一歩(あくまでも一歩)を踏み出せるのではないかなあと思います。
私ができることは一体なんだろうと考えると、まずは親を教育することかなあと思いました。。

その後訪れたビリヤニ屋さんのオーナーさんが昔日本で働いていたということでとても流暢な日本語で「バングラの98%の人はね、バカなの!」って言ってました。(爆)
真ん中の彼。ふつうに日本語しゃべってました。今も勉強してるそう。尊敬。
オールドダッカに行くときはぜひ寄って下さい。ショップカードもらったので。笑


児童労働についてはなんの知識もないので誰かなにか教えてください〜


3.01.2013

ストライキ

昨日は今週2回目のストライキでした。
それでも午後はグラミンに行って色々してきました。

夜ご飯を食べてると、みんなの携帯に安全に注意するようにという旨の連絡が何個か入ってきた。電話で、ホテルの近くで小さな爆発があったから出歩かないようにとか、メールで日曜・月曜(週の始まりは日曜)もストライキだとか。
でも私たちの身に取り立てて危険なことはなく、普通に帰れたし「あーストライキだるいなー」くらいでした。道ではたくさんの人がなんか言いながら歩いてました。眠くてよくわかんなかった。

話は変わり、私は日曜から村に4泊する予定だったけど、ストライキがあると動けないから前日の土曜に出発する予定になってました。
でも今朝グラミンのコーディネーターから電話があって、「もしかしたら土曜も行けないかも」と。
ま・じ・かーーーーーーー!!!!ふぁxく!まあでも仕方ないから2泊でも行けるように頼むかーなんて思ってました。

ところでなんでそんなにストライキがひどいのだろうとさすがに疑問になって、(政治について無学すぎて恥ずかしい)ニュースや大使館情報を見ると、
ストライキをしている政党(ジャマティ・イスラミ)のリーダーの人が、28日の戦犯裁判で死刑宣告を受けたとのこと。
それを受けて昨夜は暴力事件もあったらしい。

なんか、本当にすべての事柄について日本と次元が違うなって思いました。
頭ではわかってたつもりなんだけど、わたし本当にバカだしわかったつもりになってしまうから、2週間くらい滞在してようやく感覚として次元の違いがわかってきました。

政情に関しては無学で仕方ないとしか言いようがないのでコメントできません。



とりあえず、バングラデシュや近年独立した国にくる際は、政情を確かめて安定している時期にいかないとなかなか計画通りにことが進まないみたいです。安全か危険かの指標はもちろんですが、安全でさらに安定しているにこしたことはないと思います。


おわり。

追記
このときの安全に対する認識の甘さはよくなかったと思います。
勿論その場その場の言動には注意していましたし、暴力事件や発砲事件の可能性も考慮していました。けれど、政情を理解して先を見越して動くという意識があまりにも薄かったように感じます。当時はオンラインニュースで表面上の事の経過を追っていましたが、全く異なる環境から3週間滞在する身としては、ある程度の全体像を把握した上で渡航にいどむくらいの準備が必要であったと反省しています。(その後、この本で理解する)

2.24.2013

入院したー!


お久しぶりです。写真をupしたいけどケーブル忘れたからまた今度追加します。


こないだ思わず熱出して、気合い(?)で治して、
翌日はみんなと海に行ったりしてたんだけど、
昨日ダッカに帰ってきてから何も食べれなくなったので
病院に行きました。

病院選びはさすがに慎重で、ブログとか見た結果、
山形ダッカ友好病院
(Yamagata Dhaka Friendship Hospital)へ!
きっと院長が山形大学の医学部でたんだろうなあ
なんてのがみえみえの名前。


診察室に行くと日本人の看護婦さん(優しさあふれるタイプ)がいらして色々測ったあと、院長の先生がいらして、簡単な診察。日本語堪能バングラ人笑

そして「脱水症状だねー、血液検査と点滴!」って言われて
やっぱーって思いながら看護婦さんに着いてくと
点滴=数日=入院、ってのが判明!
いやまって、2〜3時間で回復するんじゃないの?なんて思いながら、でも食べたものが全て液体で出てくる体だし仕方ないかなあと納得。いまさらっと汚いこと言ったごめん。

それで一度ホテルに戻ってパッキングとチェックアウトと諸連絡を済ませてまた病院へ。

そして入院、血液検査、点滴(小2ぶり!)
点滴痛いなーって思ってたら、針でなくチューブを入れたと言われ戦慄!怖がりだからびっくりでした。でも、がんがん生理食塩水が入っていくのがわかっておもしろかったかな。冷たい水が腕を伝っていくかんじです。笑

先生はやっぱり山形の医学部で、山形は寒かったって言ってた。仙台からの雪道も運転したよーって言ってた。笑

それで少し待っていたら入院食がーっ!
これが感動で、
お粥とお味噌汁でしたーっ!♥♥!!
はてしない優しさをかんじるよね!日本食!
食べ終わった頃にはフラフラ感もなくなってだいぶ落ち着きました。

その日の夜は友達(?)がお見舞い兼お仕事の話を持ってきてくれて楽しかったです。
たいていバングラにいる日本人は頭が少しおかしおもしろい笑
あっさりした顔で、自分が強欲な旨と、図書館を大量に建てたいということを話してました。自分の趣味に傾いた蔵書をそろえるそうです。おもしろいなあ〜

夜は蚊帳を張って寝ました。
初めての蚊帳だったのですが、安心感すごかったです笑

今日は持ってきた「こころ」(夏目漱石のね!傑作!)を読み終え、看護婦さんとおしゃべりし、紅茶やりんごジュースをもらったり、至れり尽くせりで至極快適でした。
なんとかホテルと大違いや、帰りたくない。笑

現地の看護師さんが点滴の袋を変えると、点滴の速度が早くて少し痛いです。痛いって顔したらおそめてくれたんだけど、でもまだなんか…うう

あと、しゃもしゃない(?)というベンガリーをみんなとふざけて言ってたんだけど、実際に使うようになりました。大丈夫、みたいな意味です。しゃもしゃ?→しゃもしゃない!みたいな。


検査の結果ではやっぱり感染の原因みたいなのがあったみたいです〜
一緒に海に行った子たちにうつってないといいなあ…


もうだいぶ胃もおちついてきて、(判断基準は汚いので割愛)明日には退院できるそうです。
でも昨日の夜から鼻水がとまらないのがちょっと困っています。なぜ?!?

あと携帯のチャージがきれそうでグラミンのコーディネーターに電話できなくて困ってます。今日はストライキだったからいいけど、明日休むことは伝えなきゃ〜


まあそんなかんじでした。
暇なので仔細に書きました。


今後の食事について今少し悩んでいます。
ガスコンロとお鍋を買って自炊したいくらい。
食べ物は一度ダメになると一ヶ月くらい見たくもなくなるので…
今まではどの国でもなんでも食べられると思っていたけど
ここにきて初めて食の壁にぶちあたりました(;;)おこめ〜

(おわり)


2.20.2013

なのかめ

I was just dying today.

Day tripの予定が朝いつものように体温をはかると37.82の文字。むっくり起き上がると体がぼーっとする。これはあかんと思い7:30に今日は無理という旨を伝え、あらん限りの服を着込み、dying。
昼前に頭痛をやっつけ、夕方前に腹痛(史上最大)と戦い、なんかすっからかんになって、晩ご飯かおうとロビーに行くとみんながいてとても安心した。元気もろた。ありがとう。ていうか頭がまわらなくて英語がしゃべれない…笑

明日は夜発でsrimongolに旅行に行くらし〜!三連休なんだ!
それまでがんばってなおすよ〜!

もう全くインターンしてない笑


おやすみなさい。


2.19.2013

むいかめ

インターン2日目です。
朝のダッカは活気があってとても好きです。



 小学校?
 朝から遊んでる子たち

グラミンのヘッドオフィス到着〜

午前は激しく暇でした。

お昼は今日一緒のチームになった中国人4人と。
その後私は口直しにチャーとミルクビスケットを食べた。

午後も暇そうだったから私はチームを離れて図書館へ行った。

これが図書館。わりと快適。













蔵書は、
Grameen publication, development, law, economic development, agriculture, human development, genderなど
開発学に関するものはだいたいそろっているのと、グラミンのジャーナルとか全てそろっている。





そこで2時間くらい、グラミンファミリーについて学んだ。色々あるみたいだけど、基本的にすべてソーシャルビジネスで相互に関連しあっているみたい。
農業、漁業、投資(?)、IT、小売り、エネルギーなど。下手すると政府規模の事業を展開しているんじゃないのかなあ。

そして適当なところで帰った。(今日なにしてたんだろ?)

これがダッカの夕方です。


 スクールバス













仲のいい男の人は手をつなぐらしい!ゲイじゃなくても!
今日も日が暮れるよ〜
そして通勤ラッシュ笑


ショートケーキバナナ買いました!
Champaっていうらしい:9












ぼちぼち楽しく生きています。

具体的に言うと、このインターンが食環のようにゆるくて、自分ががんばったぶんだけ帰ってくるのだけどそんなにがんばる気ないっていうか、路上で写真とったり小学生と遊ぶほうが楽しいからそういうことしちゃうっていうか。

うまく自分を許せないな〜むずかひいっ!X((


追記9pm

今日は完全に体調が悪いです。胃腸が悪いです。香辛料に負けてる感じなのに昼にまた食べて、夜にそれを打ち消すようにたくさん食べたので胃腸にすごく負荷がかかってる気がします。明日の朝はバナナとチャーだけにしよう。あとオレンジ食べたい。

来週のフィールドトリップの5日間、ホテルを解約して荷物は友達の部屋においておいてもらったら60ドルが浮きます。(できるかな?)
そしてさっき、その60ドルという響きがすごく大金に感じたことに気づきました。今までは「でも日本でゆうたら6000円で、バイト1回分くらいやんいいやー」なんて軽い気持ちだったのですが、考えてみたら6000タカなんて一般人の月収。それで子どもも養っている。それは生活水準が違うから話は別だよ、って今までは思ってたんだけど、なぜか今どこかでパラダイムシフトがおこって、大金に感じられてきた。

たった6000タカで暮らしている。どうやって?と思う。
それでも幸せな国。すごい大気汚染がひどくて、おっちゃんがすぐ痰をはくんだけど、それすら許してしまうレベルで本当に空気が汚い。
私は、途上国に行った学生とかがよく言う「お金じゃない価値がある」なんて陳腐な言葉が嫌いで、世の中金でしょ、って思っているのですが、でもやっぱりここのコミュニティの力とか生き物としての力とか、感じます。でもお金は大切です。みんな発展したがっている。
違う視点で言うと、開発も大切だけど環境負荷を考えろ、なんて、無理な話だと思う。開発が楽しくて楽しくて仕方ないんじゃないかな?道を作っている人がいる。その人は自分が働けば働くほどきれいな道ができる。ドカタの人がいる。その人もとても高いビルを作っている。今までなかったような建物だよ!そんなの自分の手で作れたら楽しいじゃない。

先進国のエゴで物を言われてる国だから、私はそんな先進国なんて今に見てろ!と本気で追い越していこうよ!って思う。っていうか彼らはそのつもりで日々を生きていると思う。
ユヌス氏は貧困博物館を作りたいと言っていたけど、それはフェアトレードという言葉がなくなればいいという気持ちに似たものだと思う。

私のもつ負け犬魂と不器用さがとってもこの国に似てるんじゃないかな、だからちょっと曲がった感じのここのみなさんが好きなんじゃないかなって思った。まったくもう100タカくらいぼられても痛くもかゆくもないんだけどね!

日本を直すのもしたいけど、それでもよくこっちに来てしまうのは、彼らのパワーを応援したくなるからだと思う。


話はかわるけど最近冗談ばかり言っている。こうしょうとサムとびびあんがだいぶイカれてるから楽しくて冗談ばっかり言っている。こういうテンションってカリフォルニアの人のもっているものに似てるなあって思う。東南アジアの子たちにも似てるなあって思う。

東南アジアの子たちは上記理由から元気なのはわかってるけど、カリフォルニアの人たちが成熟社会を迎えてるにも関わらずあんなにアホみたいに明るいのってなんでだろう、すばらしいなって思う。うーん、開発学はイギリスだけどでもカリフォルニアに住みたいな〜。

そんなところでしょうか。明日何時に行けばいいのかわかりません。やばー!

いつかめ

インターン2日目にしてストライキだよ〜

てことで9時まで寝たよ〜寝過ぎだよあほ〜
朝はあいさんとたくさんしゃべってたくさん食べた!

なんか最近思うんだけど、3回生からまじめに学校行くようになったわけだし、食環のことあんま興味ないし知らないと思ってたけど、私が話せるのってこの内容だけだし意外と嫌いじゃないと感じる。あと、私これ以外に全く専門をもっていないから、農業とかの知見をもっと深めていくのが一番やりやすい(なにがってかんじやけど)気がする。日本の農業は興味ないけど、農業から始まる食の市場とかは興味ある。
あと1年だけだけど食環の専門もっと深めていこうと思いました。福井さんのとこも行くべきやな〜

そのあとシャワーとお洗濯。手かっさかさ。涙
こっち意外と乾燥してるよー!なんでだろう?
乾季だからかな。しょっく(;;)

その後はフロントで少し勉強した。
昨日もらったブックレットとプリントを読んだ。
興味深かったよ。

2時半くらいにお腹すいて外に出た。
食べ歩きしたくて、サモサとチャーと茶菓子(?)とみかんを食べた。
















4時からグラミンバンクでセレモニーがあるって言うから行った。
でもお話も歌も全てスクリーンでなんか気抜けたからセレモニーの部屋はそっこー出てヘッドオフィスの図書館に行った。(20階!)
蔵書は古いものが多かったけどバングラの開発経済とかを学ぶには十分だった。
そして昨日言われた「バングラの農業=ライチ」の真意を調べたのですが、やはり主な作物はコメでした。でも村にはライチが多かったって聞いたからあながち間違いではないみたい。

その後またセレモニーの部屋に戻ったけど相変わらずだったからなんもせんと出て行った。(北京大学生に囲まれてる)Harunに会ったら「Asumi! I miss you!」って言ってくれた笑
後から聞いたらユヌスさん来てたりしたんだって。なんかしくった〜!まあいいわ。

なんかもうやることないから、グラミンでて、Gramen Checkというグラミンの運営しているお店に行くことにした。
そこではなにも買わなかったんだけど、下のお店に行ったらおばさんがおもしろくて、思わず話し込んだ。なんか英語ができて、3ピース(ストール、シャツ、パンツ)のベンガル語を教えてもらった。シャツがカミールで、ストールがオロナ、パンツがサロワだった気がする。
結局3ピースはもう買わなかったんだけど、200TKのしょうもないTシャツ買っちゃった。おばちゃんおもしろかったんだもん。



夜はみんなでインド料理屋さんに行きました。
ナンがめーーーーっちゃおいしかったです!!

これは今までで食べたナンの中で一番おいしかった!もちもちしてて甘くてバターでパンみたいだった。一緒に食べたチキンマサラも辛すぎずJ

帰りにびびあんとフルーツトークになって、スーパーで色々見てたけど結局彼女が以前買った分を分けてくれるということで、ロビーでみんなでデザートタイムになった。

タンザニアで出会った小さいバナナ(ショートケーキ味のやつ)も持ってて、くれて、久々に食べれてめっちゃ幸せやった!これ明日買うわ!!房で買うわ!!笑

その後はこうしょうとしょーもない話を延々としてた(多分)けど、なによりビビアンがプリンセスなのが一番ですね。くすくす。今日からキャラ開花してきたよ〜!
中国人のyijing(?)はしーちゃんみたいな穏やかな性格やった!from上海★

あ、あしたのオレンジ買い忘れた。

今日はほんま食い倒れブログやな。でもやることなかったんだよね。笑

そういえば毎日いる物乞いの男の子(ちょっとしつこめ)が私のこと金くれない人だと認識したらしく全くふれないようになってきた。てか無視られた。おもしろいな〜最終日にあげるよ〜皆勤賞!


今日学んだこと

  あしたは成績開示なのでみること(!)
  financial system should be inclusive system(きのう学んだけど)
グラミンアメリカのときのユヌス氏の言葉で、かっこいいからめも。

バングラデシュの農業(本をぱらぱらみてた)
  1991年の時点では200万トンの穀物を輸入している。(全体の何割?多いの少ないの?)
  洪水を初めとする自然災害が多いため、小作農のモチベーションがあまりあがらない。
  面積では、10%が商品作物、75%がコメとなっている。
  季節は第一雨期(Kharif season)、第二雨期、乾季(Rabi season)にわけられる。
  雨季の栽培はコメ、ジュート、サトウキビ、トウモロコシ、大豆、胡椒など
  乾季の栽培はboro rice(?), 小麦、からし、ピーナッツ、いも類、豆類、香辛料、野菜
  (ここまででライチなし)
  主に9種類の耕作パターンがある。
コメ・ジュート→休閑→乾季の作物
コメ・ジュート→コメ→休閑
休閑→コメ→休閑
種々のコメ→乾季の作物
などなど。
  それぞれの耕作パターンはバングラデシュ内の様々な地域に特有なもので、その地域の気候などを考慮して最も利益が高くなるようになっている。細かく分類すると60種類以上ある。

ほか
  community developmentという学問があって、UCDはわりと強いらしい。
  日本にそれを取り入れてる人がいる。山崎りょうさんとかそんなかんじ?本読んでみたい。
・この国の政府を立て直すには、政府関係者両党全員の乗った飛行機が墜落すればいいって言っていた。おもしろい。
・経済が上昇しているこの国ではビジネスをやっても失敗しない!日本の銀行に預金しても金利なんて1%未満だが、ここで投資したら15%リターンはざら。



思ったこと
  バングラデシュの人は左京区の人と似ている気がする。
左京区のカフェや八百屋の人も、こっちのチャーやさんや屋台の人とか路上でフルーツ売ってる人も洋服屋さんも、みんな気さくだし「また来てね」感で出てるし、経済的な理由だけじゃなく買い物を楽しませてくれている。わたしが外国人だからでしょうか?でもいいことだと思うんだ。
  こどもがかわいい。これは刺身にしたいレベル。笑(ref: Sam
今日、私に絡み損ねた大人がいて、その人の背中を見て子どもと目を合わせて笑ったりした。くすくす。
  グラミンバンクにいるときは勉強して、路上では買い物とかで笑ったりして、なんかいい生活です。アジアのこういうところが私はすごく好きだからやっぱりまた来たいと思います。

  毎朝レストランにはMTV in Bangladeshみたいなのがついてるんだけど、こっちのMVって大概集団で踊っている。インドのもだった。(今日はインドの誕生日だった笑)服は伝統的なやつ。当分きゃりーぱみゅぱみゅは現れないな。

  グラミンバンクのボロワーへの16DecisionMDG感がはんぱないのと充実度がいいかんじなので明日書きます。グラミンバンクはNGOギリギリのバンクやな。どこまで実際にうまくいってるんだろう?でもきっと、ひとりでも恩恵をうけた人がいるならそれでいい、みたいな考え方なんだろうな。

あと喉痛い(*_*)
wanna go to village!


R.I.P to my dearest friend

My close friend in Tucson committed suicide It was Saturday morning here 7:30am Woke up and checked my phone Had a message from Tucson...