11.05.2017

R.I.P to my dearest friend

My close friend in Tucson
committed suicide
It was Saturday morning here
7:30am
Woke up and checked my phone
Had a message from Tucson
It would've been Thursday morning
there in Columbia
When she decided

Still shocked and dunno
Sending flowers to her funeral
which happened to hold in her
age of 33

Looking for connection with her
I'm so disconnected
here in Tokyo
Tryna get all pieces of her

I LOVE YOU NATALIA.
dunno what to write
I'm sorry that I couldn't be the best one after the spring break
but I love you I really like you I really like you

8.17.2017

渦中にいて。

父はこれを読んでもまだ私に連絡しないでください。私が気を見て連絡するからね。ちょっと待っていてね。


就活も1ヶ月そこそこで内定をもらった、親友と旅行している最中の出来事だった。親友は並んでいたボバティーをおごってくれた。

実は7月25日に終了のお知らせを受けていた。OPTが否認された。
理由は提出期限が切れていたから。4月は修論がめためたにされていたり剣道遠征があっていろいろだったが、まあ忘れることもあるらしい。

その数日前に実はメンタルのダウンはきていて、そこからなぜか心持ちは整えていたから大丈夫だった。

私はすぐさまツーソンのロースクールの親友と、道場仲間の弁護士に連絡して、ベイエリアにいる弁護士の連絡先を手に入れた。彼女に会いにいって、appealまたはmotion to reopenを出そうということになった。

弁護士費用がとても高いから、大学のときにインターンしていたボスに連絡して仕事をもらった。わりとあっさり弁護士費用および申請費用をまかなえるだけの仕事をもらった。

それが先週で、週末は中高からの親友が遊びにきていて全力で遊んだ。

彼女が帰って、昨日また弁護士に会いに行った。
初回にあってから少しリサーチしたらしくて、今回の件はやはり難しいことがわかった。

最善は学校に入り直すこと。まだOPTの権利を行使していないから次回eligibleになったときに使える。UoAならば思い当たるプログラムはある。統計なんだけど、勉強したいし私の持っている単位を少しtransferすることもできてすぐに卒業できる。UoAならコネがあるからassistanshipもとれると思う。問題は今から入れて最速のスタートはどのセメスター?

MORは出して通過しても60日は待たされる。ここからまた60日は長いなあと思う。そして私のケースは最近強化された移民局の方針だと多分受け付けられない。F1を失ってから180日は合法的に国内にいられるからそちらは問題ないけれども。だから多分やりたくない。

会社にかけあってビザを出してもらいたいけど、H1は5月の申請だからそれはない。これからJビザの要件を見るけれどどうだろう。

日本に帰る説が濃厚。最高なのは日本にあるオフィスに送ってもらって(だって同じポジションで東京オフィスで出していたのを私は見たぞ!)こちらにrelocationしてもらうことだな。


学校にいったら次は必ずある。もう間違えない。でもまた1年学校?それは内容によりけりだけど、もし入学が遅くなったらその間何をする?
日本に帰って同じ会社で働くのもいいけど、もっとも伸ばしたいスキルとは少し違うものをやることになる。日本に帰るで1妥協なのに、もう少し妥協できる?アメリカに帰ってくるという条件があれば?

今なにやりたいことはなんだろう、ほしいものはなんだろうと考える。

日本人以外の人と話しているとアメリカに残って働く権利が超尊く聞こえる。中国人はちょっとこだわりすぎって感じだけど。一応日本はまだ働ける経済があるから日本人はさくっと帰ったりすることが考えられるんだろうな。


今ある選択肢を整理してとれるものをとるしかないんだけど。
アプリケーションの小さなmistakeが大損失につながっているよー笑、大損失なのかな?大損失ではないけど、いろいろめんどくさくはなっている笑

そんな状況でも一人で戦える力があってよかった、前を向く力があってよかった。
わりと笑い飛ばしている。はっはっは

そんな力をくれたこの土地を離れるのが恋しいんだと思う。ある意味パワースポットなのかもしれない。アメリカの文化の人の支え方や愛情表現がとっても好きでつねにつねに力をもらっていたから。
いや、日本に還元するタイミングなのかもと思うとしっくりくるけどね。私が元気にしてやれる人、それなりにいるのでまだまだ死ねないし日本には帰りたい。


やりたいことみたいなのはわりとどこでも見つけることができるし、柔軟に対応できるようになっているから今あんま考えていないのかも。
もちろん戦略的にキャリアを作っていくことは大切だと思う。
今もっている選択肢がやりたいことから離れていないだけで、やっぱり中心を据えていないとその圏内から離れていってしまうからね。


昨日は朝友達が帰国して、帰宅して爆睡して弁護士と話してまた新しい面接もやって、そしてまた爆睡していた。さすがに疲れていた。
今から選択肢をクリアにして、きっといろんな人と話して考えて2週間以内にはいやでも結論が出ていると思う。
へんてこな人生やな。haha



アメリカでしたいことって言ったら、HalseyとNicky Jamのコンサート行きたかったな〜
Halsey's new album is so cool!

7.14.2017

カリフォルニアに引越してきた




ノースカリフォルニアはベイエリア、San Leandroに引越してきた。
だいたい「なんでSan Leandro?(車もないのに)」と思われがち。
たまたま家があったからでそれ以上でもそれ以下でもない。
多分地域っていうのは大切なんだけど、それ以上にその家で私がやりたい日常が営めるかのほうが大切で、大きなキッチンがあること(今の家は4つ口コンロ、しかもガス!オーブンもあってシンクも大きい)、バスタブのあるバスルームであること、ベッドルームが異常に狭くないこと、洗濯がオンサイトにあること、で、短期滞在が可能なので絞ったらここになった。

交通の便は悪い。

さっそくCraigslistでGTのロードバイクを$80で手に入れた。

家はきれいにみえてかなりほこりっぽくて、少し気合いをためたのちウォルマートと99cストアでの爆買いを経てかなりきれいにした。バスルームが最悪だったけど、シャワーカーテンもマットもゴミ箱も変えて隅から隅まで水拭きしたら私の城になった。

憧れだった植物も買った、Safewayで2つで$11くらいだった。オリヅルランの太いやつ(名前がわからん)とアロエ。アロエを見た瞬間「これだ!」ってなった。多肉植物への親しみが強くなっている。(笑)ツーソンでは植物を育てるのが超困難だったけど、ここでなら長く仲良くできると思う。
キッチンは上にもかいた通りとても好きで、キッチンの横に植物とキャンドルを置いてる。壁紙はなぜか薄い黄色で初めてのカラーだからマッチングに困っているけどグレーを基調に対応していこうと思う。新しいカラーリングも意外と楽しい。

家が汚いと心がくすんで本当に「なんでこんなところにきてしまったのだろう…」という気持ちになるけれど、きれいになった瞬間また前向きに戻れるからそうじは本当に大切だと思う。
母の名言は「白いものは白く」で、多分これが最強の遺言として残ると思う。掃除へのあくなき執念をうえつけてくれてありがとう。そしてツーソンでいつも一緒にそうじしたローレンの、アメリカの汚い家をそうじする執念も私を強くしてくれた。(笑)

お皿類をゆっくり考えながら揃えたいなあと思っている。
明日掃除機がきて、ベッドルームを掃除できたらかんりょーっ♥



家のすぐ側にショッピングコンプレックスがある。超巨大な99cストアと、マック、Safeway、CVS、あと寿司屋と他の食事やがある。今の所毎日99cに通っている。なんでもないGrocerystoreは本当に地域が見えるからとてもおもしろい!Demographicマニアである。

ここの99cストアは生鮮食品も扱っている。さすがカリフォルニア、なのか?生鮮食品が安いためなのか、州政府が貧困層に気をつかって極力99cストアでも生鮮食品を売るようにしているのかわからない。(このくそヒッピーステイトはプラスチックバッグが禁止だから生ゴミどうすればいいのかわからない。)
昨日目の前の女の子がEBTカードでたくさんのキャンディーを買っているのをみて(16点)悲しくなった。ああおいしいごはん作ってご馳走したくなる。早くsettledownしてSNAPについて行動したいものだ。

ところでこのコンプレックスにはヒスパニックと中国人しかいない!かろうじてSafewayで白人を見たときになぜか落ち着いた。やっぱりアリゾナは白人が多い州だったんだな。マックのオペレーションはすべてスペイン語でまわっている。ツーソンにいるとき数えるほどしかマックに行ってなかったからわからないけれども。有色人種の街にきたんだなあと思った。ところどころスペイン語がわかるからちょっと楽しい。

99cストアは地味に私の中で衝撃だったなあ。

ここは高校がいくつかある地域で、放課後の子達(それは白人が多かった)が自転車を歩道で走っていてローカルルールを知った。そういうもんなのね。
明日は駅までチャリで走ってみようと思う。



総括して、San Leandroというのはとても魅力的とはいえない街だけど、今の私に心地よいレベルで私は気に入っています。
今日は掃除終わり祝いで寿司食べたよ、OMG roll。アホか。

多分街は関係ないんだけど、日中そこそこあったかくてでも暑すぎないで活動可能な気温っていうのがとてもよい。気づいたけど、日中最高気温が20度違う。26度をすぎたらどれも同じなのかなと思った。

友達ができるまでは、ShakiraとNicky JamとDespacito(オリジナル)をたくさん聞いて心の中の友達と踊っていようと思う。
近々ヨガ、剣道初めて、サンフランシスコのミートアップにもどんどん参加して、自分でなにかプロジェクトも始めたいと思う。


来週はオンサイトインタビューが2つある。
先週の金曜にやった面接の結果、そのポジションが結局社内でうまっちゃったんだけど、相手がたが私を気に入ってくれたらしくて、新しい他のポジションについて情報をまわしてくれた。

就活における私の強みは、
1. データ分析、統計リテラシー
2. マルチタスキングとクロスファンクショナルチームで動けること
3. プロジェクトマネジメントか日本語
4. それらを伝えきる英語力とコミュニケーション能力
だと思う。なんかアメリカ人ぽくテンションあげることを最近学んだ。
母の名言は白いものを白く、であるが、父が残した最大のものは語学力だと思う。幼少期をここで過ごしていなかったら私も今頃日本人のように英語を話していたのだろうな、と…(失礼だけど)(でも流暢にこしたことはない!)(そしてその壁は大きい。)
英語力がなかったら私のスキルではなかなか就活は難しかったと思う。


本当に掃除しながら「私はこんなところでなにをしているんだろう。たいして裕福でもない地域で、小汚い家で、就活もせず掃除をして、東京にいたら今頃きれいな家で、良いものを食べて良い服をきて、きっとそこそこのお金も稼げてただろうに…」とめちゃくちゃ思ってしまったけど、普通に汚い家効果だと思う。
きれになってからはなんか教授が勝手に義理の息子のエンジニアを紹介してくれるし、いいことおこるし、普通に考えても私これ就職決まるでしょ?な流れがただよってくる。
EADカードが遅いのが少し気がかりだけど、頑張って1年後にはE-verifyカンパニーにたどり着いて私は滞在を延長させるぞ。この植物たちを育てるんや。

そんなマックの夜でした。マック安いわ、すげー。



追記、アメリカのdemographicっていうのはdimension (variable)がたくさんあっておもしろいんだと思う。あと日本は少ない分細かく深くなりがちだけど、アメリカは多様な分ざっくりで把握できるのがいいのかな。

7.06.2017

4th of July

4th of July はアメリカの中で最もアメリカらしい独立記念日で、アメリカンフラッグみたいな服を着た人がわんさかあふれてみんな庭でBBQをして花火を見るんだけど、うちのヒッピーな友達はもちろんそんなことはしなくて、適当にくつろぎました。
友達の友達カップルがロードトリップをしていて、4人で昼からマルガリータを飲みにいったらなんと50%オフのサービスで、そのあと山をみにいった。コアントローとアガベシロップが入ったマルガリータめっちゃおいしかったわ。そのあと部屋でクールダウンして、夜はプエルトリコから帰ってくる友達兼私の友達の恋人を迎えいって、みんなで彼女のコンドに行った。山の高いところにあるコンプレックスだから、よく考えたら大自然で、10時からプールとジャグジーに入って、蛙と戦いまくったり泳いだりした。久しぶりにあったかいお湯につかったから翌朝肌がつるつるになっていた!朝は友達が仕事あるからって6時に叩き起こされて下山、帰宅。早朝のアリゾナは少し優しい雰囲気だった。(日中は40度越えであちいいいって感じだから)
友達カップルはオースティンに向かった。彼女がチェキでとった写真を置いていってくれていて、すごく味がある。
Tus lugares favorito (favorito favorito babe!)







なんて思い出に浸っていたらリクルーターから電話がきた♥
ガタガタなりに順風満帆 :)

6.18.2017

脂漏性皮脂炎の対策

ちょっとサイトのまとめ
http://hc.mochida.co.jp/skincare/care_sukoyaka.html
http://dsr-skincare.jp/blog/archives/507
http://www.dieve-store.jp/?mode=f122
https://ameblo.jp/rhian-w/entry-10793449281.html

とりあえず今化粧水がきれていて、選ぶ基準としては

  • Ceramide in ingredent
  • Fragrance free (for sure!)
  • Preferably oil/alcohol free
かな。

===
結局CVSブランドのセラミド配合のものを買いました。
口の周りがとても荒れているから美容強化2週間だな。


6.10.2017

サンフランシスコ滞在まとめ2

火曜日から日がそんなに経っていないけど、そろそろインプットも終わりなのでwrap up.

6/6 Tuesday

- 父の知り合いの方にお会いして、めちゃくちゃ話を聞く。
とにかくコネクションは使う。というか、インタビュールームに行くまではどんな手段でもいいから使う。コネクションを使ってリファレンスを書いてもらったらそれで早くなるかもしれない、LinkedInでinner circleに入っていたら早いかもしれない、などなど。なんでもいいから使うものは使うのです。


  • レジュメを直す
    • Rを使ったプロジェクトがあるならそれを最初とかにだす。
    • レジュメは記録文書ではない。自分の分身だと思う。
    • Conversation triggerでもある。
    • プロジェクト名をかく、団体名よりも。
    • 学んだこととして、もっとnutrition scienceの人と話せたらよかったなと思った。
    • 殺文句3パターンくらい作っておく。
  • レジュメをdropboxとかにいれておいてどっからでもアクセスできるように。人に送るときはgoogle URL shortnerを使ったリンクで送るとよし。
  • 求める給与水準はglassdoorとかでみておく
ギリギリでデータ分析にかじりついていたのは良い選択だった。



- 夜はサンノゼでエンジニア飲み会。
この頃にはいろいろもう疲れていてダメだったな…結構いろんな人と話したつもりだけど、
「データ分析したいです」
「ディープラーニングできる?」→死
という流れもあったりして、私のレベルの低さに沈没することもあった。まあそれは仕方がないのや。

その後は深夜まで友達と話し込みいろいろ終わった。

6/7 Wednesday

- 自分の尻を叩いてRandallと2回目のセッションへ。結構話しちゃったけど、とりあえずGitHubをセットアップしたのでかなりよい!
まだなにもないですがこちらです。これからテコ入れしてかなきゃなあ…
https://github.com/asaito333
まるでなにかきちんとコードを書いたかのように見えるから満足感で◎笑
マクロをかけてないところとかちょいバレなのでいろいろといろいろですな…

- 夜はわりと死ぬようにしてホステルへころがりこみ、化粧も落とさず死。
そろそろ人と共有する部屋にステイするのに限界がきていたのと、疲れと、喧騒と、インプット過多で心臓が痛くなっていた。翌日からもホステルだったけど急遽private roomがあるAirbnbの予約に変更。

6/8 Thursday

- バークレーのほうで低所得者向け住宅事業をやっているNPOに働いている人と話す。とはいえど住宅は全然足りておらずという状況らしい。アリゾナよりも肥満は少ないように見えるけど、ホームレスが多いせいでベイエリアは結構貧困が顕著。

- もうなにもしたくなくてスタバでFrida Kahloのプチ伝記みたいなの読了。とてもよかった。彼女にインスパイアされる女性が多いのもわけわかるわ。
人生の初期で大きな怪我を負い、痛みとともに生きた人。出産にも恵まれず。Diegoに対して奥さんであり母であり偉大な存在だったろうなあ。芸術という枠にも収まらず。溢れる色を抑えることもなく。最高かー!
Fridaが先生をやったときの描写が美しかった。彼女自身が伝えたいことをピュアに表現した時期なんだろうなあ。

帰りのフライトはこないだ本屋で買った、Chiapasにまつわる詩集を読みます。実はマヤ語とスペイン語と英語の3言語で詩と小話が載っている本。ツーソンに住んでメキシコ人のルームメイトを持つことによってメキシコへの関心は強くなった。日本で漢文を勉強するのと同じノリですね。

ほんとは今はやり(?)のRupi Kaurのmilk and honeyが欲しかったんだけど書店にないから断念した。近いうちに探したい。

バークレーにhalf price bookstoreっていう本屋があって、久々にそういうふつうの本屋に入ってわくわくした。ツーソンあんまないからな!本読みて〜〜

- Airbnbについて爆睡のち米を炊いた。うまし。

6/9 Friday


- めっちゃ寝た。ここのところの疲れがとれた。

Airbnbにうつったことによってものすごい金欠になったのでいろいろとやばいですが、がんばって生きますw滞在をのばしたかったけど諦めやな。


そろそろ傍で稼ぎながら職探しというスタイルを確立せねばならん…

6.07.2017

サンフランシスコ滞在まとめ1

そう、さくっと卒業して2週間くらいアリゾナニートを楽しんで(超楽しい)、そろそろ仕事探すか、ということでサンフランシスコにやってきた。2週間の滞在、今は1週間目が終わろうとする月曜夜。この1週間だけで人生に対する見方や自分に対する見方、そしてサンフランシスコでやっていくという謎の構えができてきた。やっぱり都会が大好きだ!

しっかし学んだものが多すぎたのでここで軽く日記風に整理したいと思う。

5/30 Tuesday

- 深夜の移動を経て成れの果てみたいな状態で20代4度目のSFOに到着。BARTで市内に向かい、これまた成れの果てみたいなCivic CenterまわりのHyde stを15分登りホステルへ。ハードかよ。

- GALS!をKindleで買う少女、りこちゃんと会う。あげまんな彼女とデートしているとツーソンからインタビューの電話、日系企業からベイエリアかNYCでのポジションの案件メールがやってくる。最高な彼女はビッチになるべくLAヘ。

- Starting a Career in Tech: Professional Online Brand @Galvanize

このイベントはオンラインブランディングに関するもの、主にLinkedIn
多分使えるのはここらへん。

  • How to write LinkedIn profile?
    -> Find profiles from your ideal job that attract you
    -> Learn the structure and keywords from them
  • When you write summary or experiences/projects
    Be professional and specific, be personal, and mention to your future plan
  • Publish a LinkedIn article
    Search the topic of your idea on google and see how others title their articles, also see the bottom of the search page, "search related", that could be your topic too.

ここから、やらねばならないことは
  • Review and edit LinkedIn profile
  • Create Github account and upload my code
  • Publish linkedin articles (There are some ideas!)
いつやるのや自分…

ここで、Full stack developerのバークレーに住む黒人のおっちゃん Randalに出会って後日一緒にLinkedInを編集する約束をする。あと適当な就活中の子にも出会って番号を交換。
まあ知り合いというのは簡単にできるもんやね!

5/31 Wednesday

- 前日が長旅だったので朝ゆっくり寝たいものの、7am-9amにあるクラブイベントに参加ということで早起き。Early morning wig and costume party だったのでみんな仮装して朝からダンス。その後みんな仕事にいく。8:20くらいに我に返って「この街のやつら頭おかしいな?」ということに気付く。笑
久々に踊れて楽しかった!

- ホステルをチェックアウトして、ベースメントの共有ルームで仮眠。適当に人と話していたら、カナダ人のLiberty MutualでStatisticianをしている人に出会う。神かよ!しかし詳しい話を聞く時間がなくLinkedInだけ交換して終了。
こういう縁をモノにしてゆきたい…まあBostonやしな…

- そして友人宅に移動。

- 夜はMentor festというnetworkingイベントに。

Big Dataというテーマで集まった人たちに出会う。
現在エンジニアでデータサイエンスにいきたいからonline degree取得中の人、すでにインターンが取れた人、Wildcats!、銀行員(ああネットワーキングしなきゃ…)、Google html5のmeetupに良いチーズとワインがあると教えてくれた人、human trafickingに関わっている人、私を連れ去ろうとした極悪野郎、私と似た社会科学系出身の人、などに出会った。名前はかたっぱしから忘れたわな。

学んだこと。
  • Data analyst, data scientistになりたい人の中には賢い人もいるけど、まあ私と同じくらいの人もいる。あとエンジニアもいる。
  • People in the big city are not intimidating even friendly and open!!
  • 私の修論に価値がある!
    Human trafficking に関わってる人は夫がBig dataで来ていたんだけど、彼女とやっぱり話が盛り上がってしまいw I used the variable of the number of grocery stores in each zipcode! っていったら、You should present them to the stores selling fresh produce that you can tell them you can strategize the demand! みたいなこと言ってて、ああああやりてええええってなった。やる。せめてLinkedIn articleでやる。ていうかKaggleとかで勝手にプロジェクトしちゃえばいいのかな、今はCivicHackに興味がある。早くここにsettle downしたいなあ、tech系の技術を社会に転換するのがめちゃくちゃうまい気がする!
  • おまけ
    極悪な人は出会い頭に"I though I'm gonna meet someone from Tucson today..."とか言ってきたのですが、アホかおめー殺すぞ

6/1 Thursday

- ようやく一息つける朝、Safewayに行って自炊。Safewayのくせにおしゃれな建物に入っていた。。。

- 正午から火曜の夜にあったRandallとのセッション。
もともとはLinkedInを改良しようという話だったのだが、なんと4〜5時間かけて私のメンタリングをしてくれた!
私のやりたい仕事と、データサイエンス界隈の説明をしたあと、なにしたっけなー。

  • 就活のアジェンダを作った。
  • LinkedIn "Degrees of Separation"の説明をうけた。これはわりと目から鱗なLinkedIn networking tipsだったのだが、詳細はGoogle Docにあるので省略。

とにかくその会社内でEndorsementをうければ、HRに直接コネクトしなくとも、hidden job marketに入れるとのことだった。これはビザ的に余裕ができたら必ずしたい。今はもう少し目標を短期でセットしないといけないのでね…でもLinkedInで突然メッセを送ることに抵抗がなくなったのでよし。

  • レジュメのマッチングを見てくれるサイト:https://www.jobscan.co/
    これはオンラインで押し出されないために大切なチェックができる。

Randallとのセッションは2記事はかける内容なのでこれ以上は省略。最後に計量経済学の話と私の修論の話をしたら楽しんで聞いてくれて、すごく嬉しかった。自分のやってきたことに価値があると知ることはとても嬉しい。

最後にWhat's your birthday?と聞かれた、1029と答えるとScorpio?と。きたきたきたこの人種!!!と思い興奮した。言葉が通じる人はアメリカどこでもいるんだ、最高だなあと思って終わった。

しかし6時間半くらいぶっ通しで超疲れた。

- 夜は遊びにバークレーの居酒屋へ。
超うまかった。梅酒が超うまかった。
日本食素晴らしいと思った。
カリフォルニアすげ〜!

6/2 Friday

- Google社会科見学へ
朝早くにでて世界に名だたる企業が連なるMountain Viewへ。大したMountainのViewはなかったが、Googleplexはすごいところだった。全ての食堂が無料、ジムもあり、学校のキャンパスみたいで、Googleカラーの自転車でみんな移動してて(それはださかった)、おもしろかった。
ここで日本人の機械学習エンジニア(兼すごいツイッターの人)にあってお話した。私はgraidiant boostinぐ、、?みたいな人なのでもはや専門のお話は意味が不明で聞けなかったwけどめちゃくちゃおもしろい人で、頭良すぎておもしろくて、Google王国を堪能できた。あとSFの日本企業に「たのもーっ」ってつっこむメンタリティを学んだ(それはあなたが賢いから、とは85%思ったけど)

てことで
  • サンフランシスコでデータアナリストを雇いそうな企業に連絡し、訪問する
- 京大の先輩とおしゃれなカフェで。
やはり日本で働いていた先輩は違う、おしゃれなカフェを知っている。笑
奥さんが駐在で、本人もこちらで住みたくて就活をしている人だった。貧困ビジネスに興味がある人で、「京大農学部〜!」の良い思い出とノリを思い出した。
彼は食品科学系の研究をしていたけれど、大きい概念としては栄養に興味があるので、ここでもこれみよがしに修論の話を持ち出して、アメリカ人の栄養が終わっている話をする。(良い修論したな?な?)
栄養系のスタートアップしよう!という話になって解散。
食に関する話が久々にできてとても楽しかった!京大農学部〜!

- SFに帰宅して、アクセレレーターで働いている子と友達とお酒を飲む。うまし。
化粧を落とさずに寝たが、これがのちにニキビとなる。

6/3 Saturday

- SQL Bootcamp@Girls In Tech

主にhttps://www.w3schools.com/sql/default.aspにあるデータセットを使って、コーディングしてみるもの。大したことはしなかったけど、指ならしになったのであとは自分で学ぼうと思います。SASやRよりもデータセット間のやりとりがスムーズな気がした。
  • SQLのオンラインコースを学習し始める
- 夕方は疲れたので本屋でPoetryを買って、ノースビーチに歩き、寒くて帰宅。さみいよ。
本当はゲイの友達に会う予定だったけど、彼女が風邪をひいて延期。かなしみ。She told me there are a lot of clubs that you can see beautiful gay!

6/4 Sunday

- 火曜に知り合った子と、Farmer's Marketに行き、ユニオンスクエアのタンゴイベントへ。
Farmers marketは超よかった、当たり前のようにEBTカードも使えるし、(果たしてEBTカードで買われているのか?)、花めちゃくちゃ安いし。チェリーとお昼ご飯買った。果物が超良いかおりがして最高だったし、緑の野菜がわさわさあって最高だった、魚まで売ってた!
初めてのタンゴはめちゃくちゃスローでなんやねんと思ってたけど、踊ってみるとリズム的に理解。男性リードの動きにあわせるところあたり、剣道で培った観察力と俊敏な反応がいきるのや、とか思っていた。笑

- 帰宅、爆睡。今週疲れたねん。
日本人エンジニア飲み会のためにSan Joseにステイすることを決意。忙しい!

6/5 Monday

- 奇跡のまゆみさんと出会う。それは1つ前の記事。
肩の荷がおりたような気持ち。

- その後バークレーの図書館で作業。この場所もっと早くに発見していればよかった!カフェよりも静かで机の広い図書館がやっぱ集中できるなあと思った。夜は自炊して友達とゆっくりごはん。


そんなただいま6/6 Tuesday morning. この1週間でなんてたくさんのことが起きたんだ!という気持ち。びっくりじゃない?良い風がいっぱい吹いている。もう学生気分がないし(あ、修論訂正しないとね、あとデータセットをアドバイザーに送らねば…)、hiring processに真っ向勝負できるような気持ちもできたし、自分の売り込むところもなんかわかってきた。

日本のパン屋みたいなのがめっちゃあるからめっちゃ食ってたらまじニキビできた。


でてきたTodoをまとめる



  • Review and edit LinkedIn profile
  • Create Github account and upload my code
  • Publish linkedin articles (There are some ideas!)
  • 就活のアジェンダを作りなおす。すべて入れて図にする。
  • LinkedIn使うよ〜
  • サンフランシスコでデータアナリストを雇いそうな企業に連絡し、訪問する
  • SQLのオンラインコースを学習し始める
そんなとこですかな。
疲れた。とりあえずここから後ほど再開。後半戦をどう使うかをいま考え中…

6.06.2017

長い戦いが終わった

卒業してしばらくして、思い立ってサンフランシスコに来た。2週間。今日はちょうど1週間経ったところ。UCバークレーのメインライブラリーのソファに座った、正直めちゃくちゃ臭い。ふわっとにおう。けど実は私も湯船に頻繁に浸からなくなってこの臭いを自分から感じる日もある、反省。

今日は、友達の友達であるりこちゃんに進められて出会ったまゆみさんに話を聞いてもらいに来た。彼女は人のカラーが見える人で、心や思考のこりを独自のリーディングでほぐしてくれる人。今の私にはその類の人がとても必要だった。苦しんだ2012〜2013年頃のことを思い出す。もう4〜5年も経っているんだ!

彼女が私に見た色は、白、黄色、グレーと、深い緑だった。
白は、清廉潔白、神聖で不可侵な白と、そこからグラデーションになってふつうの白が広がっていく。自分に神聖な白があって驚いたし、嬉しかった。守りたかったものが守れていた気持ちだったし、高めたかったものを高めれていた気持ち。
ふつうの白からは除菌という言葉が出てきた。それはとてもわかる。今は努めて、嫌なものを排除したり、思考停止したりするようにしている。それが私が過去数年間で築き上げた自分の守り方だった。除菌、してる。
黄色は輝いている純粋な色。細くハイライトとして入っている。これは今の私を表していると思う。最近になって強く出たんだと思う。自分の陽の部分全てを担っている強いきりっとした色。
グレーは忘れた。
深い緑は、許容の色。これは以前は努めてもっていたものが、経験を経て自分のものへとなっていった色。うん、今、確実に自分の許容範囲は広がっている。

私のキャンバスには、まんなかに好奇心がわさわさと湧いている。それは知っている自分。全てのピュアな原動力。
隅の方に三角座りしている小さいものがいる。それは、私が好奇心で圧迫されたときに落ち着く場所。
体格には黒いゆらっとした細長い影があって、それは多分父や社会やそれにつられた恐怖や不安、その先に美しくたゆたう波がある。
その波がいつも私を動かすもの。美しい原動力と理想、違う世界。水面がキラキラしてる。多分、その中はいろんなものがあるけど、外から見る分には魅力的でたまらない。

他にもなんか浮いているものがあるけど、今回は省略。

いっぱい話した。

絵が、とてもorganizedされていると言ってくれた。嬉しかった。
私から、暗いものや悲しいものを感じない、良い予感しかしないとしか言ってくれた。

20代30代は親の価値観と自分の価値観でせめぎ合うときである。そのときに、そこからsuccessfully 抜け出せたことを教えてくれた。
その戦いはとても長くて苦しくて、私は18歳(17歳かな)からずっと苦しんできた。特に父。たくさん悲しんで憎んで自分も嫌いになって、いろんな方法で立て直すことを試してきて、ここまでやってきた。自分なりに分析して何かを読んで吸収して、いろんな人のケースを知って。
そんな自分なりの営みが、最近よいところまで落ち着いてきたのは感じてきていた。
けど、それに自信がなかった。ストラクチャーのない自分なりの埋め合わせが、本当に自分の心を立たせることができるのか自信がなかった。
彼女は、それを、できてるよ、って認めてくれた。
それはとても大きなことだった。

ツーソンでの生活は楽園のようだった。
私を苦しめる人がいない世界、みんなが優しくて、笑顔ばかりで、人が助けてくれて、楽しいことばかりがおこる世界。そこにたくさん救われた。
けど、現実世界で生きていけるか少し心配だった。
やっていけるかなあって想像するとなんだか少し怖かった。
これが楽園だからできてるんじゃないのかなあって。

でも今日、どこでも生きていけるくらい大きくなっているってみてくれた。
それはとても嬉しいことだった。
違う都市にいって、ストレスを感じてしまったときとかに、でもストレスフリーの楽園が確実に世の中にあることを心に留めているのは、何も知らないのとは違うから。いつでもそこにいけるっていうのは、心の支え。である。確実に。

そんな経験を経て、私は私が思っている以上に強く大きくなっていた。
だから今まで自身の自分を想像しなくてもいい、もっとキャパシティの大きくなった自分を見て、それを動かす癖をつけていくこと。使ってみること。
今犯す失敗はきっと失敗じゃなくて、ミステイクのふりをした成功だからって。
嬉しかった。
自分の犯す失敗が大きすぎて最近怖かった。自分がコントロールできてない気がして怖かった。でも今の自分は信頼できる。きっと信頼できるから、失敗しても大丈夫だよって。
それはすごく嬉しかった。

父親の存在は大きかった。
ずっといて、ずっと彼との比較で生きていた。
けれど、最近解放された気がしていたんだよね。それを彼女が察知していた。
深い緑はそこからうまれたものだった。自分の人生にとって大きい人をひとりゆるした。
あすみちゃんの勝ちだよ、って言ってくれた。
勝ちっていうのは喧嘩の勝ちじゃない。父を1人の人間と見て、自分をセパレートして、別の個体として自分を作り上げて育てあげた、私の私に対する勝ちだった。
父はきっと自分にしてあげたかったことを全て私にしたのだ。彼は弱い。私はそれにも気づいていた。
けれど彼女は言った、父の子育ては成功だった。自分より強い人を作ったのだから。
それはなんともかっこいい言葉である。彼は新しい子育てで、それに気付くよって言ってた。
彼女は、私たち家族もこれからはすごくいいことがたくさん起こるよって言ってくれた。
母も含めて。
振り返ると10年弱ほど、ストレスフルな家族でいたから、各々がいろいろに頑張って、関係を諦めないで、そうしてきた甲斐があったね。よかったね。
これからはいっぱいいいことが起きるよ。

私は非常に素直だと。
そして人に信頼されるって言っていた。それは私の言葉に嘘がないから。
サンフランシスコに来て1週間、良い人にしか会ってない。みんなとても優しくて、わたしのためになることをしてくれて。
それは私は良い人で、信頼できる、本当の言葉を紡ぐから、みんなが助けてくれてるんだって言っていた。
うーん、正直私もそんな気がする。(笑)
最近は魅力を全開にして歩いているから、かわいらしい人たちがひっかかってきたりもする。そういう人たちに優しくごめんねをする方法を知らないといけない(笑)
それはおいといて、とにかく自分の進む道をクリアにしている限り、本当に助けてくれる人が現れてきて、それはとても嬉しくて感動している。
信頼できる人間、になれて嬉しい。

これからは、少し大きくなった自分に見合う心持ちをしていきたいと思う。
それを認められたのは本当に大きい。
新しくストレッチしてみて、新しく挑戦できる。怖がらずにできる。
本当に、それは大きい。嬉しい。ありがとう。

まゆみさんとのセッションはそんな感じだった。
深呼吸と水を飲むのを忘れずに、この新しい言葉を体に刻んであげたいと思う。

私は新しい章を開くのだ。

4.25.2017

Wrap Up of Kendo Weekend in Dallas!

I attended the Nabeshima Cup held in Dallas at April 22&23.
There are so many learnings from Dallas kendo weekend and of course I write them down here.

There are SO MANY LEARNINGS, literally, from kendo technique itself to how American culture digested kendo.


  • Nabeshima Cup Overview and Timeline
Nabeshima Cup has four divisions; Mudansha, Yudansha (untill 3dan), Women, and Upper-Yudansha (from 4dan). The tournament is held on Saturday and there was Shinsa on Sunday morning following with keiko with all the sensei came to Dallas on the weekend.

I attended Women's division to lose at the second match. The opponent was a same age women from Dallas who has been practiced for 12 years (yes, if I didn't quit kendo at 18, I'd have been like her!) and passed 4 dan on Sunday. I skipped the Shinsa because I'm not ready for 4 dan at all, but attended the keiko at noon on Sunday.

  • Review on my match
It wasn't good. 
The first opponent was 瞬殺 as clearly she was very very beginner.
The kendo style of next opponent was similar to Thomas (3 dan) in my dojo, who I really cannot find the way to beat. She was as tall as him, having strong center, and blocks men than coming to aiuchi.

So if you don't have a strategy to everyone in the dojo, that means you are not doing your best in the practice. I knew that and there is no regret on my lose since I did what I did in the dojo. My last question in dojo before the tournament was "How can I get ippon from Thomas?" 

Yes, I know I don't know how to get ippoon from her neither.

  • Limit as a small dojo
Overall, I think Tucson kendo kai did our best. Mark got the 2nd place at Mudansha division (This is one of the cool part of kendo, someone shows their coolest kendo in shiai, not in practice. But those tend to fail in shinsa. Well, never mind he passed shodan this time.)

Everyone did great job, as the way they did in the practice. Everyone had very good opponent that hit very convincing ippon to us. No unfair judges. BUT, most of us lost at the second match. Mostly the opponent of the second match wasn't too bad. They would be as same rank as us. 

Then what's the difference? - It is experience. 

First, we don't have exposure to different kendo since we are isolated from other dojo and we only have few people in dojo. We don't know all different types of kendo, or we don't practice with same type person as oneself. The best way to get ippoin is to have strategy. It is not that random men you hit is gonna be ippon. Sometimes your men is so good that you can get ippoin without strategy, such as aimen. However, most of the people who have certain years of experiences know how to fight with different type of opponents. The opponent who is tall, short, big, small, fast, powerful, close, far, good at men, good at nuki-men, good at kote, etc. You need to focus on the opponent behavior, judges the type, read the behavior, and react in the best way to the opponent in shiai. In order to give a clear judge that leads you to winning, you need to know all the different styles, be exposed to them, practice and develop your kendo strategies.

Second, we don't have experience of Shiai. We get nervous, we get out of the court and get hansoku, we don't know how to effectively use 3 minutes, we don't know how to research opponent before the match, we don't know what is the most effective or the strongest waza of ouselves. This is related to the size of our dojo room too. 
For me, it was the first shiai in this 9 years. No excuse that I'm not used to shiai.

The first point could be overcame by visiting different dojo more frequently and going to seminars. For the second point, we could practice at larger room at UofA. We could take time for researching our kendo and giving feedback to each other more seriously than before as well as watching shiai video.

  • Second Dojo, what a fun practice!
So, first of all, I would like to nominate someone who named Second Dojo to Nobel Price in Literature or something. You genius!

Kendo people in the States call the drinking party after the dinner as Second Dojo. I'm guessing it is named after nijikai (Second party in Japanese). 

I talked some people from different dojo and some sensei at Second dojo, well, the bar. It is amazing that everyone there has something (I mean kendo) in common to talk and you can talk about it very deeply with that person very immediately. 

Also for me as an international student, it is always so difficult to get in the circle, especially the center of the circle of the conversation in any party. But in kendo community, thanks to my nationality and culture, I can really enjoy the conversation from my bottom of heart whenever wherever. It is so nice to have such thing at oversea, very far from your home.

  • Kendo in the US
As represented as Second Dojo, kendo community in US is way more casual than in Japan. I only did kendo in high school, so I can't call it as fair comparison, but still I wouldn't be comfortable to talk with sensei at off dojo situation as I'm still 3 dan and young and not good at shiai. (Yeah, I'm not shiai type of person.)

The most thing I respect in kendo here is that people start kendo from their 20s or 30s and work hard!

I was talking with Andres at the bar about hippy, yoga (not yogurt), life, and kendo. (But when 7 dan seisei says yogurt, it is yogurt.) For Japanese people who have at least one thing they worked very hard such as sports, study, or art in their lives, it is natural to work extremely hard for one goal. The goal is absolute and no doubt for the hard work because you decided to commit and achieve the goal even you don't remember why you've chosen to do it, or the goal is given by someone. 

Here it is different. You choose. You think. You don't be a robot. 

But kendo is very Japanese. You can't give up once you say "Onegaishimasu". You gotta give 120% of yourself in that 3 minutes. No excuse. Because you are committed. 
I'm having hard time explaining this way of thinking to beginners here. It sucks when the beginner told me "but it is difficult" "this movement is so new to me idk how it works" etcetc while I'm teaching. Could you just shut up say "hai" do what I told you to do? But no, it is very rude if I say it here. But that's Japanese nature! 

So Andres said that it is the mental training, zen moment, phycological learning. The most interesting point was that he thinks "kendo is safe, and that safeness makes you be able to work mentally extremely hard on myself". He enjoys the Japanese style suffering for his mental training.

I still don't know how to teach the way of thinking in kendo, but I love to hear how Western people who enjoy kendo appreciated (understand) and digested kendo by their own ways.

  • What is kiai?
At the bar, Marstin sensei asked us "What is kiai?". He told us it is not mechanics, it is not how to make the open from center. but the attitude one has.
So up until 3 dan, you basically learn mechanics. How to hit men, kote, and do. How to use your tenouchi and foot work. From 4 dan, you need that kiai in your kendo.
When you are practicing with upper rank sensei, there is a moment that you try to hit the sensei in absolutely wrong timing, and you know it wasn't the right timing but you couldn't stay still there. What makes you make the move? It's kiai of the sensei. The kiai was too strong that you couldn't keep your kiai or seme. You made the openess (suki) by yourself. 



===will be continuted====


4.18.2017

a piece of shいt

自分の気持ちを書き綴って悲劇のヒロインみたいになるのはとても恥ずかしくて嫌いなのですが、だいたい半ばやっているようなものだし、いろんな人がブログを通じて自分の気持ちを整理しているのをみると、私もやっていいのかなあ、なんていう気分になって、学校のブックストアのfashionとarchitectureの棚の前のthe most confy sofaに座ってパソコンを開いた。
I'm in deep sorrow and sadness now.
久しぶりに逃げ出したい気持ちにかられている。私の大好きな平日の吉祥寺(2000年代)に行きたい、今はもうないPARCOの8階には打ちっぱなしコンクリートのフロアすべてを使ってfrac francが入っていた。突然のショッキングピンクや花のモチーフのかさたてとか、フロアについた瞬間の香りが大好きだった。高校自分の私には憧れの場所だった。そして今は反勢力みたいな場所(ドンキ)になった全階無印の丸井ビルは、4階が文具売り場で新しいものをチェックしては買っていた。高校生は文具くらいしか買えない。
いつになったら憧れの雑貨を悠々と買えるときがくるだろう。
買えなくても、それは私の憩いの場所だった。本屋はそんなところだ。本屋のインテリアが好きだ。本屋は小さなショーケースだ。あらゆるもののショーケースだ。グラフィックの棚に行くと美しい写真と知らない世界がたくさん並んでいる。知らない絵の書き方、知らない植物の育て方、知らない地域のファッション、私は意味を探さなくていいし、見ているだけでいいのが、脳の動きを止めるのを許されたようで、そして文字通り見目麗しく、視覚から心に栄養を送ることができる。美しいものは尊い。
そう、心の栄養が枯渇している、今。
辛くて泣く、ということを私はしない。強気の子供だったし、泣いたのは手術のときと、あと感動する映画を見ると「じんわり」と泣くことはよくある。でも辛くて泣くという現象が理解できてなかった。よく女の子が泣くのを見たり聞いたりしてたけど、私は泣きたくても泣けなかった。父親とバーで喧嘩して、ありえない言葉を吐き捨てられたときは悲しくて泣いたけど、悲しいからだった。辛くて泣くってなかった。それが今日もう本当に動けなくて、シャワーも浴びて化粧は完璧、というときに、家から出られなくなった。仕方ないから最近インスタグラムで好きなアーティストのまねをして、女の子の絵を太いマジックで書いて、簡単な心境も添えて、色鉛筆で塗っていた。ほどなくしてお腹がすいて、私はベークルをあたためてクリームチーズをぬりたくって、せっかくだからといちごをスライスしてのせていて、自分が鼻をすすっていることに気づいた。それは鼻炎の鼻水じゃなくて。もしかしてって、思って、「もうやだ」って言葉に出したら、待ち構えてたかのように涙が両目から溢れてきて、「もうやだ」って言葉と嗚咽だけひとしきり続いてしまった。出てきた、つらい涙、私も出るんだ、って思った。
一通り泣いたら少し気持ちが落ち着いて、家を出た。本当はお気に入りのグラディエーターサンダルをはきたかったんだけど、時間をとるからバレエシューズを秒で履いて家を出た。学校についても会いたい教授はいなくて、オフィスの空間が私を悲しくさせるから、建物を出てアメリカの不健康な食事をとった。ロースクルにいる親友たちに連絡をして、数時間後に彼女の授業の合間を縫って会いにいった。もうひとりの友達も、忙しい中たまたま通りがかることができて、大きなハグをして去っていた。
私が泣いている理由は修論とアドバイザーとの関係だ。彼は非常に人が良いけど、全くorganizedされていない。研究の進め方がポロポロかわる。私の出した結果、3日後には全く関係ないものになっている。私の成果を全く大切にしてくれない。なにも認めてくれない、それはrejectionとは違う、気にかけないのだ。私はなんのためにやってるのだ、私のためなんだけど、誰も評価してくれない世界でただ孤独にものを進めることの限界にやってきた。評価されたい。なんで見てくれないの。なんで私の書いた修論の一部読んでくれないの。私にとってはとても大切なものなのに、なんで。私は何度も彼にいった、planの全貌を見せてくれ。そして彼はたまにplanをよこす、そしてそのplanは最後まで通じてるようにみえて、翌週には全く違うことを要求してくるのだ。これじゃいつまでたっても私は最後にたどり着かない、何も終えることができない、なんにも成果がでない。私はとりたてて優秀だとは思わないけど、バカだとも思わない。言っとくけど可能性は存分にあると思っている。去年のプロジェクトではすごく活躍した。私は自分が大好きになった。なのに彼は私をうまいように使ってくれない。私の価値が発揮されない。それがつらい。私はもっとできるはずなのに、うまく力を出せない。それがfrustrationでfrustrationで、本当につらい。本当は今頃書き上がっているはずなのに、なんでこんな基礎的なことをやっているんだよ私、って思う。本当につらくてつらくて仕方がない。本当につらい。
自分でやってみなよっていう人もいるけど、やってみた結果何度もoverwriteされてみたら、そりゃもうやる気なんてなくなる。私でも無理になる。もうくじけた。完全にくじけた。こんなにしっかりとくじけたことはない、というほどにくじけた。自分を鼓舞できない、鼓舞しつくした、もう力なんて余ってない。つらいよ、つらい。
つらいときはあゆみを止めないかわりに、1cmでも動いたらいいことにしている。
もう本当に修論、どうすればいいのかわからなくて、私の中になにも残っていない。すごく困っている、今週末は剣道の大会なのに、心に気合いが充満していないといい稽古もできないしいい試合もできない。明日からこの土曜日にむかって、自分の気分を爆上げしたい。そのためには修論でいいステップを踏まなくてはいけないの。いけないの。それだけが今本当に私にとっての全てだから。本分が務まらないかぎり、どんなにいい音楽を聞いても、いいものを見ても、大好きな友達と話しても、いい食べものを食べても、マッサージにいっても、だめなんです。修論が今の私の命だし、プライドがあるから。
今月こなかった生理がきてくれたら、少し心は楽になるかもしれないけど。ホルモンバランスのせいでもあると思う。
将来そんな上司にあたったらまた泣くのかなあ。今回のことで、そういう人とのやり方を克服できたとは思わない。失敗から学べって人はいう。うるさい。人は後ろ向きでいたいときもあるのだ。開けたくない扉も、見たくない傷もあるんだ。
Have someone you can share sadness and sorrow


少し続ける。
ここからは、ラブレターです。


Have someone you can share sadness and sorrow
そんなことを昨日親友と話した。
親友と呼ぶそのアメリカ人の女の子は、私よりも多分3つ下で、ワシントン州の田舎からアリゾナに出てきた。父親の違う姉がいる。彼女の父は武道をやっているけど、既に彼女の母とは別れていて、2人目の父は死んだらしい。私たちは、母親が大好きで、母親に幸せになってほしいねえなんてブランチしながら話したり、彼女の母親をないがしろにする母の彼氏をぶっつぶしたくなったりしてる。彼女と私はラベンダーの香りが好きで、掃除するのが好きで、meanな男は嫌いで、ヨガとダンスは愛していて、お互いを愛しているけど、残念ながら私は異性愛者なので、彼女と恋仲にはなれない。(私は自分がストレートであることがひどく残念なことだと思っている)彼女の母と姉が訪れたとき、ゲイのカップルが訪れたとき、親友が訪れたとき、私たちは小さなパーティをして踊りにいった。なぜか彼女の訪問者はみんな占星術に超詳しくて、3週連続で What's your main star, moon and sun? なんて話を聞いていたら、まるで知らない自分が常識はずれみたいだった。(I'm scropio and my moon is pisces, sun is aries、さすがに調べた。)みんなハーブが好きで体の声をよく聞いていた。愛に溢れていた。愛に溢れている人は愛がひたひた満ち足りているのが見えるから、とても安心する。私もアジアの魔女を張っている。最近彼女のお気に入りの友達は、トランスジェンダーの男女で、すなわち中身でいうと女男で、私も仲良し。そういう子たちは何かと人と違うことを感じたり考えたりするから、自分がスムーズじゃない人間でも、仲良くなれやすい。
もうひとりの親友はパキスタン人のアメリカ人で、両方の国で育ってきて、文化の違いに多分いまだに苦しんでいる。重度のトラウマをもっていて、でもいつでも前に進むことを忘れない彼女が私は大好きだ。彼女はそろそろ30になる。去年の暮れにオフキャンパスの家を探していたとき、一緒に住もうって言われたけど、パキスタンでメイドがいて家事のやり方を一切知らないというのはお金では解決できない問題をうみそうでさけたのと、大麻はよくてもコカインを同じ屋根の下でされるのは私の人生計画の中になかったので、今は別の場所に住んでいる。車の運転は乱暴で、私たちは一緒に交通事故もした。そんな不器用さ全開の彼女の、それでもちゃんと生きたいってしてるところが、私はしびれるくらい好き。
書き疲れてきた。
私は彼女たちといて心のそこから安心するし、ずっと一緒にいたいって思う。男なんていらない。だけどそれは人生の優先順位でいうと実は高くないから、私たちは6月から別々の街で過ごすことになる。悲しい、これもまた人生かな。
英語ができるといろんな人と交流できるとか、留学すると世界が広がるとか、そんなちんけな言葉では表現しきれない体験を、関係を、愛情を、私のこの2年間は内包している。私は出会うべき人たちに出会った。彼女たちは今の私を形作る大切な大切な要素である。愛してる。
愛を吐いたら全てを使い切ったかも、疲れたわ。おわり。

4.13.2017

駄文

At this age of 26 with the experience of living in four cities in three different countries, I kinda know when and what I get great inspirations from. Whenever I stepped into the new environment, there are a few people that I get along with in a moment. We are born and raised in a different part of the world and yet we have same experiences, same emotions, as if we took a same class. (Was it a class of life?)
Today after the four hours talk with such friends, I got home with literally no words and emotions to exhale anymore and was swaying on a rocking chair for 2 hours doing nothing, I mean scrolling the phone. And I came up with this interview of an architect having tremendous experiences that he has reflected to his own works - and felt like "hey this is same conversation as what we just did".
At this age of 26, we already learned some sort of things - you know your favorite food and fashion, how to treat yourself when you are down, how long you procrastinate, awful heartbreak, lonely nights, etc. And we live on all those life experiences trying to make a better decision than yesterday.
So here I want to share a part of my life lessons about personalities that absolutely spark to me.   (Yes I admit it was too long introduction.)
One who is conscious and positive about different culture
One who likes cooking from scratch
What you eat is what you are. I like cooking for myself and I like myself producing the authentic food that makes me relaxed at anywhere in the world. I care about my body and I know when I eat something good I feel so good. Food is philosophy.
One who screams and dances
I can't deny I am sometimes childish and immatured, but I just feel so comfortable with being people who can express themselves without hesitant. I see their inner energy and very naive but real life there. It is one form of compassion. I like the person who dances to express their feelings that they cannot keep inside, and explode.
So contrary, I feel very lonely when people react so dry to something. Of course dealing with these sensitive people cost sometimes.
One who is passionate to grow
One who believes in good intention
One who is political conscious and likely to be feminist
One who appreciate beauty of nature

4.08.2017

heartbreak on friends

なんていうか、めっちゃ苦しみつつ生きてる友達とかいて、私もいろんな気持ちが渦巻くタイプだから、そういう子たちと話してるとすごい生きている感覚がして私はすごく好きなんだけど。
なんか大人びてて、現状に満足してて、いつでもメンタル安定していて、頭おかしいみたいにはしゃがない子たちとは友達になれなくて。もっと人間の汚い部分みたいなのどうしてもあふれ出ちゃう子たちの方が、こっちもなし崩してで対応できてすごく心地よいときがあって。
でも私は成長してきていて。だんだん落ち着いてきていて、その子たちともそこまでつきあっていられなくなって。落ちついてきてもそれはそれで違う生きている感覚があって楽しいんだけど。

でも痛みをわかちあった友達とは裂けるほどの喜びとかfunとか楽しみをいっぱいわかちあっていて、体の一部みたいになるんだよね、心の拠り所というか。1対1の枠がある、きちんと整っている人と人じゃなくて、もう感情全てぶちまけてしまってるから、半分混ざっちゃってるような。
大好きなんだけど、思わぬ裏切りにあうこともあって。それは彼女らがそういう子たちだから仕方ないんだけど。大人の対応なんてする子たちじゃないし、感情のままに動いちゃう子たちだし、それが私は大好きで、でもそれが自分にそういうかたちでむくとは思ってなくて、でも、ありうる話で、リスクだったんだなって。それが悲しくて。
そういうこと考えると、そういう子たちと距離をおいちゃって。どっかで彼女たちも成長していてほしい。見捨てたみたいな考え方したくないんだけど、深夜の叫び声とか。受け止めてあげたいけど。そしてもう一度再会したいね。

まあ、重度のADHDやPTSDもってる子たちなので私もなんか対応する側としてこころえとくことがあったのかもしれない–––。

3.26.2017

Where to go next?

キャリアについて、この一ヶ月目の前にあるものにどんどん手を伸ばしていたのですが、なんだか自分の行動に懐疑的で、成果もでず、なのでここらで仕切り直そうと思います。

やったこと

  • とにかくキャリアフェアに行った
  • レジュメとカバーレターを作った
  • レジュメとカバーレターを卒業生に見てもらってフィードバックをもらった
  • オンラインで20ポストほどアナリストとインターン出してみた
わかったこと
  • セルフマーケティングという意味でのスピーキングが下手(Public speaking、多分意識的に取り組まないといけない)
  • スキル不足
  • フォーカス不足
やるべきこと
それっぽい活動を一巡して、詰めの甘さ的なのの強弱がわかったので、計画的な二巡目に入ります。
  1. 自己分析
    1. 就活の目的をクリアにする
    2. 自分の経験をクリアにする
    3. それらを全て魅力的な英語にする
      参考:https://www.ted.com/playlists/226/before_public_speaking
    4. それらをオンラインで発信する
  2. 仕事探し
    1. 1-1に合致するものを探して分類。先月のでだいたい見当はついている。
  3. ネットワーキング
    1. LinkedIn:気になった仕事の人は2ndとかでどんどん紹介してもらう。
    2. Alumni networking:Career consultingの仕組みを使っていろんな人に話してポジションを探す。
    3. ゴールはよければ職につながる、最低でも5月にCA行ったときに会える人がたくさんいることだなあ。
      ** ただしこれらは、1ができて発信したいことが確固としていないとうまくいかない。私の場合適当な話本当に適当にしかならない。
  4. スキルのブラッシュアップ
    1. 修論を終わらせる
    2.  SQL(SASのPROC SQLとほぼ同じだったから少し安心。)
    3. (Rのggplotに強くなれたら…)
タイムライン
  1. 自己分析:1と2はこの週末、3と4は3月以内に。
  2. 仕事さがし:1と2が終わり次第はじめる。
  3. ネットワーキング:2と同時並行。
  4. スキル
    1. 修論は他で管理してるのでパス
    2. SQLはCodeacademyのフリーの分だけ修論前に終えて、修論終わり次第本格的なコースを探す。または自分のやったプロジェクトのデータクリーニングを書き直してみるとか。5月の課題。

以上が計画の話。
1-1, 自己分析の就活の目的だけここで完全にクリアにしておこうと思う。



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就活の目的、Where to go next?

この1ヶ月いろいろやってみて、例えばセールスならツーソンでできるとか、データ分析系の仕事はまじでスキルが足りないけどいろんなところにあるとか、ビザがどうのこうの、日系エージェントからスタートアップ求人サイトまで、いろんな働き方と選択肢をおにのように見た。ここから選択しなければならない!プランBは死ぬほどあることにも気づいたけど、食指が動かないということにも気づいた。そう私超わがままなの。30歳までは夢的なものは諦めずに追い続けちゃおうと思ってるので、改めて腹をくくる作業がこれ。


やりたいことの根本、のちょっとした変遷。

国際開発がやりたいと気づいた20歳、その中でもプログラム評価に興味を持った22歳でしたが、計量経済学を勉強しているうちに計量そのものがおもしろいと思いもっともっと知りたいやりたい、となってきた26歳今日この頃です。

でも芯は変わらず、「利用できるリソースをあますとこなく利用して」「そのプログラムなり、人なり、ビジネスからのアウトプットを最大化させ」「社会をよくするスピードをあげる」、そして「そのプログラムなり、人なり、ビジネス自身が最大限輝ける」ことに貢献したいです。(最近HR適性感じる…)

それを国際開発のコンテクストで手法として発見したのだが、アメリカにきて新しいものに出会ってそれをアプライする先が広がった。UberとAirbnbは私の中で革命的だったし、親友から聞く、研究で知るアメリカの貧困の話も衝撃的だった。当たり前だけど、困っている人はどこにでもいる!(Uberはその後政治的理由から私のスマホから消える)

なのでコンテクストが開発に限らず、困っている人の生活をよりスムーズにするサービスにシフトしてきた。また、データアナリストを使い続けている産業にも、純粋にスキルの魅力があって興味がわいてきた。(ああ本当は数学と統計をもっと勉強したい。)


今自分が日本である程度関係のある職種につけそうな企業の内定をもっている身なので、この1年間は「データ分析のスキルをあげること」そして「データドリブンなサービスで社会に貢献しているビジネスモデルを学ぶこと」に集中したいと思っています。そういう意味では必ずしもデータ分析の仕事につけなくても、ブートキャンプやワークショップがたくさん開催されている土地に行くのもひとつの作戦だと思っています。

ビザだけもらってwhateverな仕事をするのは論外、どんなに得だと思えるものでも楽しくない時間は過ごせない。。。(30歳までは。その後は金作らなあかんなると思う。)



アメリカ就活の3要件

私は、仕事内容、土地、ビザ、が3要件だと思うんですね。
その中で優先順位をつけると、1仕事内容、2(僅差で)土地、そして大きく離れて3ビザ。機会という意味で富んでいる都市はやや魅力的であるものの、やはり私はアジアに帰りたいので(もうメシマズカントリーやってられない)、機会そのものが本当にアメリカにいる意味です。土地は機会と強い相関があるからどうしても僅差になる。


就活の優先順位

以上の3要件に、根本にあるやりたいことをやや肉付けして、優先順位はこんな感じ。

1. カリフォルニアでデータ分析を用いたサービスを展開している会社にデータ分析系の職、または近い職種で入る
2. データアナリストとし採用された場合は土地に限らずどこでも行く。
3. フェニクッス、シアトルの1バージョン。

難易度は1より2の方が高いので、1目的で照準あわせていこうと思います。
3はツーソンに帰ってこれる土地だから。


はー、やるしかない(Wakai, 2008)!

3.10.2017

Don't lose creativity?

I was watching this short clip and what the girl said at the end was very cool so I cite it here


" To me my idea of perfection is just using fashion as a vehicle for your own creativity and like empowering other people in a process and wake up everyday happy" (edited a bit)

I'm losing a power of creativity these days being killed by all the work I have to do. I should take time for my wardrobe. I'm thinking about studying hand writing/lettering for so long and never get started. My ultimate dream from when I was 10 is a interior coordinator and I'm studying Econometrics LOL

Well I don't have to start any of above right now, but don't wanna lose my creativity just because I'm busy for other things.
At least my desk is the prettiest in my office?

2.18.2017

分断された社会を乗り越える

無邪気な好奇心は人を傷つけると思った出来事があった。
それ以前に最近は友達から学ぶことが多くて自分の研究の先行研究ができてきて、「知識人としておごっていた」。
それでもそれを学んだことに意義はあるし、より深めていこうと思っている。

トピックはアリゾナ・ツーソンの低所得者。

私の研究はSNAP (Supplemental Nutrition Assistance Program, 以前フードスタンプと呼ばれていた低所得者向け食料バウチャー補助プログラム。アメリカの農業省が施行している全米最大のセイフティーネット。昨年度は4,400万人が受給していた。)がその受給者にもたらす野菜・果物消費の効果だ。

SNAPの目的は低所得家庭の収入の維持とよりより食事へのアクセスを提供することだ。受給者の所得と家族構成員人数によってだいたい月$100〜$400ほど食料のための補助がでる。

現在までにSNAP、フードスタンプのもたらす効果に関する研究はたくさんなされている。そしてすでに「SNAPによって食費への支出が増える」「SNAPによって食料保障状態(家に食べ物があるかないか)が改善」されることはここ数十年ほど有意な効果がでている。残念ながら、「SNAP受給女性は、所得等が同じそうでない女性にくらべて、肥満率が高い」、「(同じ比較で)BMIが1ポイント高い」「SNAP受給者は、所得等が同じそうでない人に比べて自己報告の健康指数が低い」など、健康に対してはネガティブな効果が報告されている。

すなわち、「増えた食費への支出」が「健康」に変換されていないということだ。
ここでキモになるのが、「じゃあ何食べてんの?」という質問で、だからそれが私の研究課題だ。
残念ながら、「SNAPによる食べ物、栄養への効果」の研究はどれも結果がバラバラであまり強く支持されるコレといった結果が蓄積されていない。結構サポートされているのは「 Whole fruits (まるまる一個のフルーツ、加工とかされてなくて。)の消費はふえる!」のと「砂糖、脂肪の摂取と正の相関関係」と「肉の消費もふえる」だ。フルーツ増えるのはいいけど、あと砂糖と脂肪はダメ、肉は質と以前のタンパク質摂取量による。他にも穀物、牛乳、ビタミン、食物繊維、カロリー、鉄分、といろんなことに対して研究していて結構バラバラな結果とか、「なんも関係ないです」っていう結果とかがでている。

なんで強い主張(ポジティブでもネガティブでも)がないのかっていうと、
1ー食べ物の測り方がわからない!人が摂取した鉄分量とかどうしてわかろうか!って感じで、そもそも研究対象が自己報告の食べた量な時点で少し「ほんまかい」感がでる
2− 使われているデータが一様ではない。全米対象が多いけど、数州のみ、とか、田舎のみ、老人のみ、とかでバイアスがかかっている。NYCとツーソンの食費は違いますからね。
3− 統計モデルの違い。

知りたいことを知るのはかくも難しきかな、ですね。
私の研究分野で語れるのはここまで。


話はかわるが、私のロースクールにいる最高にヒップで強くて美しい友達はPublic Defenderという、貧しくて弁護士が雇えない人のための弁護士になろうとしている。弁護士の中では最も薄給の部類だ(そりゃお金とる相手がいないからね)。法が守ってくれないような人を守る仕事で、同職で昨夏インターンした彼女は「毎日とても悲しかった」と言っていた。

2年目も半ばになって、彼女も専門の勉強を深めていて、最近はImmigration関連の実際の法手続きのアシスタント(それで単位がでる)をしたり、よりリアリスティックな現状に向き合っているし、トランプのExecutive orderのでた中、力を感じているそうだ。

横道だが、最近の私のプログラム(計量経済)での親友は、コロンビアで弁護士をしていた友達で、彼女は元々ポリティカルサイエンスとロースクールを出ているのに、計量にきたツワモノだ。

こないだこの2人と満月を見にハイキングをした。
もちろん話は政治と法の話になった。(こんなに実りのある聞き役があるものか、と思う)

先日こんな事件が州都フェニックスであった。
https://www.pri.org/stories/2017-02-10/attorney-says-woman-deported-phoenix-might-have-had-her-conviction-overturned
トランプの人種差別なExecutive Order, 「前科のある移民から優先的に強制送還させる」というものが適用され、以前ID詐称したがその後正式な法的手続きをへて市民権を得たメキシコ人女性が非合法的に移民局に拘置、強制送還されたのだ。彼女には2人のアメリカ国民のこどもがいる。
彼女を強制送還したオフィサーは憲法違反の差別的な法的手段をとることで有名な人で、現在まさに水を得た魚である。
しかもオバマのときに独立を約束された移民局と警察が、トランプ政権のもとでは協働するように促がされており、この例もあったせいで、まったく普通にくらしている移民に今恐怖が蔓延している。州知事も反対している。(そもそもアリゾナから移民がなくなったら社会も経済もまわらなくなる!!!)

なんとも中指を突き出したくなる現状だ。
それがこの先進国アメリカの進んでいるディストピアである。ミッシェルオバマの最後のスピーチを聞いて彼女は素晴らしいと感銘を受けてた日はまだ平和だったのだなと今思う。

話はもどるけど、彼女いわくツーソンのはずれにある拘置所はとても寒くて人が死ぬこともあるらしい。コロンビアの友達はこの拘置所に(嫌な)縁があったのだがそれは秘密。

実は私の周りに拘置所と刑務所にとても詳しい人がいる。
剣道の道場主だ。
彼こそはツーソンでパブリックディフェンダーを30年続けている人で、たまにジョークで刑務所の話をする。

そしてなんと私の友達が彼のことを知っていたのだ!
どうやらその現場で弁護士のアシストをするセッション(クリニックと呼ぶ、ローオフィスがクリニックと呼ばれている)で一緒になったことがあるらしい。それを発見した私は早速昨日の稽古のあとに友達の名前をだした。
She knows you!

昨夜は奇遇にも私と彼しかおらず(初めてだ!)彼は参加率の低さに超怒っていたけれども、ゆっくりと技を教えてもらえたりして私たちは良い稽古ができた。
その帰りに、友達と話した話とか、私は私で「フードスタンプはやっぱ健康ちゃうわ」って話したりとか、普段剣道メンバーの前で話さない話をした。「刑務所の飯は食いモンちゃうわ」とか。

私の友達は彼が剣道をしてると知ったとき「なんか、よかった。毎日悲しい話と向き合う仕事だから。彼にそういうほかに打ち込めるものがあるって知れてよかった」って言っていた。彼女は学生で、彼はプロフェッショナルで、仕事への思いの熱い人だけど、感情はきっともう切り離せるのだろうと思って、その夜に「彼女は、感情の切り替えのできるのすごいなって言ってたよ」って彼に伝えたのだ。彼は「いまだに悲しいけど、もう泣くことは減ったかな」と言っていた。

私はこの発言がとても軽率だったと今反省している。

今日フェイスブックを見ていたら彼の投稿があった。
「昨日、受刑待ちだったクライアントの女性が、子供を産むときに死んだという報告をきいた。はじめ彼女が逮捕されたときは本当にダメで、ヤク漬けで、ホームレスで彼氏からの暴力で目の周りが真っ黒だった。でも仮釈放時に本当によくやって、薬物中毒からもぬけだしたんだ。逮捕されたときに、妊娠したってわかって、それが彼女がちゃんとやれた理由のひとつだった。本当に人生を変えていたのに。とても悲しい」

未来のみえてきたクライアントの突然の死のあとの稽古に、私はあんな話をしたのかと!
少し彼らの仕事を見聞きしたからって、もっと知りたいと思って、友達は「とても悲しい仕事」とことあるごとに言ってたのに。ずけずけ聞いてしまった自分をとても恥じた。悔いた。
あと、本当に悲しい仕事だなって思った。




ignorance, unawareness は暴力だ。
私は本当に本当に温室育ちで世の中の美しいところだけを見て美しいところで育って美しいもの目指して生きていて。
自分の層と分断されている層を知りたいのは本音だ。本当に知りたい。私には教育という武器があるから、手強い相手と戦う武器があるから、それを存分に使いたいのだ。私自身がいっぱい教育に、技術に、新しい発明に助けられたのだ。実は簡単に助かることがいっぱいあって、知らないだけの人にどうか伝えたいんだ。救われるよって。
けど、やっぱり私もこちら側の人なのだ。トランプのサポーターが鼻をつまんで嫌うような。そのものなんだ。

私は弱くて、彼らみたいにそんなシビアな世界の第一線で弱い人に寄り添って生きることはできない。心が崩れると思う。けど、栄養とかもっと生活のボトムラインでなにか支えることができたら、と思う。
甘いかもしれないけど一生懸命やりたい。



今朝出た気候変動に関するリサーチチームの研究報告会で、バングラデシュの気候変動とvulnerabilityに関するプレゼンを見ていた。プレゼンターはバングラ人PhD。バングラデシュは三角州のような出来かたをした土地で(確か。)、川が多いのと地盤が緩く、気候変動によって洪水が増えて、貧しく社会的に不安定な人たちからどんどんより深い貧困におとされていく。今、経済状況が二極化していて、貧しい人と豊かな人ばかりで中間層がいないらしい。
社会的に不安定な人とは、という質問があり、彼はこう答えていた。
1−自分の土地をもたない人。たとえ洪水があって自分の収穫が0でも契約上お金をはらわなきゃいけないから。
2−政府や役人の使う言葉を知らない人。バングラデシュは他言語国家で、中央の言葉を知らない人からしたら、どんな情報もないに等しい。(情報の断絶)
そして彼らは「ニーズを伝えられない」(伝え方をしらない、伝えるということを知らない)らしい。

彼が農家とした会話で印象的なものがあり、引用していた。
農家「わたしのすきな食べ物しってる?」
学生「しらんがな」
農家「まあこたえてみてよ」
学生「こめ?」
農家「なんでそう思った?」
学生「僕は米が好きだし、〜だからかなって。」
農家「あなたも、政府の役人も、みんなそうやって勝手に彼らの答えを押し付けてくるんだよね。誰も自分たちを見ない」
これ、まさに中央のおごりだと思う。そもそも言語を用意していないのもそうだけれど、相手はこうだろうっていうの、とても押し付け。




最後の例。

中高の友達で、ものかきの仕事に携わりたい子がいて、実は1年くらい前に見事に転職して、webベースの出版社の編集になった子がいる。彼女が担当している漫画が紙面にのったということで、シェアされたのだけど、私からしたらいまいちおもしろくない。私の友達も好んで読むわけじゃないなあって思って。その他に彼女が「他社だけどあすみすきそうなもの」と言って教えてくれたのはおもしろかった。

でも、彼女の会社が続いているのは読者がいるからで。疑問に思ってどんな人が読んでいるか聞いたら、30〜50代の男性。50歳が読む漫画には見えず驚いた。そして「感想ハガキ送ってくれる人もいるけど、その中で35なのに日本語不自由な人とかいて、実際会わないような人たちだと思うよ」とのこと。面接でも「あなたは高学歴だけど、うちのお客さんは違う層だけど大丈夫?」って聞かれたらしい。

社会は本当に分断されている。
私から見えてない層が、私と全く異なる好みをもって、同じ社会で、違うものを消費して違う嗜好をもって(思考も違くて)生活している。けれど国はひとつだから、みんなが幸せになりたいなら、お互いのことを知って、歩み寄らなきゃいけない。そうじゃないと、どちらかひとつ、多くの場合はすでに権利を多くもつほう、のための社会になってしまう可能性がある。または、どちらも幸せにならない、トランプ政権のようなディストピアがうまれてしまうのだ。


この溝は高学歴の正攻法のお勉強じゃうまらなくて。
とてもセンシティブな問題だ。あちら側に閉ざされるかもしれない。
それでも、どうかあなたのことを教えてください、ってある知恵しぼってどうにか教えてもらって、あと自分たちのことも知ってもらわないといけないと思う。
それは、自分の、自分の属するコミュニティの、そして属さないコミュニティの幸せを守るために必要なステップだと私は思うのだ。


いろんなことを思う日々だったので、備忘録として。

R.I.P to my dearest friend

My close friend in Tucson committed suicide It was Saturday morning here 7:30am Woke up and checked my phone Had a message from Tucson...