卒業してしばらくして、思い立ってサンフランシスコに来た。2週間。今日はちょうど1週間経ったところ。UCバークレーのメインライブラリーのソファに座った、正直めちゃくちゃ臭い。ふわっとにおう。けど実は私も湯船に頻繁に浸からなくなってこの臭いを自分から感じる日もある、反省。
今日は、友達の友達であるりこちゃんに進められて出会ったまゆみさんに話を聞いてもらいに来た。彼女は人のカラーが見える人で、心や思考のこりを独自のリーディングでほぐしてくれる人。今の私にはその類の人がとても必要だった。苦しんだ2012〜2013年頃のことを思い出す。もう4〜5年も経っているんだ!
彼女が私に見た色は、白、黄色、グレーと、深い緑だった。
白は、清廉潔白、神聖で不可侵な白と、そこからグラデーションになってふつうの白が広がっていく。自分に神聖な白があって驚いたし、嬉しかった。守りたかったものが守れていた気持ちだったし、高めたかったものを高めれていた気持ち。
ふつうの白からは除菌という言葉が出てきた。それはとてもわかる。今は努めて、嫌なものを排除したり、思考停止したりするようにしている。それが私が過去数年間で築き上げた自分の守り方だった。除菌、してる。
黄色は輝いている純粋な色。細くハイライトとして入っている。これは今の私を表していると思う。最近になって強く出たんだと思う。自分の陽の部分全てを担っている強いきりっとした色。
グレーは忘れた。
深い緑は、許容の色。これは以前は努めてもっていたものが、経験を経て自分のものへとなっていった色。うん、今、確実に自分の許容範囲は広がっている。
私のキャンバスには、まんなかに好奇心がわさわさと湧いている。それは知っている自分。全てのピュアな原動力。
隅の方に三角座りしている小さいものがいる。それは、私が好奇心で圧迫されたときに落ち着く場所。
体格には黒いゆらっとした細長い影があって、それは多分父や社会やそれにつられた恐怖や不安、その先に美しくたゆたう波がある。
その波がいつも私を動かすもの。美しい原動力と理想、違う世界。水面がキラキラしてる。多分、その中はいろんなものがあるけど、外から見る分には魅力的でたまらない。
他にもなんか浮いているものがあるけど、今回は省略。
いっぱい話した。
絵が、とてもorganizedされていると言ってくれた。嬉しかった。
私から、暗いものや悲しいものを感じない、良い予感しかしないとしか言ってくれた。
20代30代は親の価値観と自分の価値観でせめぎ合うときである。そのときに、そこからsuccessfully 抜け出せたことを教えてくれた。
その戦いはとても長くて苦しくて、私は18歳(17歳かな)からずっと苦しんできた。特に父。たくさん悲しんで憎んで自分も嫌いになって、いろんな方法で立て直すことを試してきて、ここまでやってきた。自分なりに分析して何かを読んで吸収して、いろんな人のケースを知って。
そんな自分なりの営みが、最近よいところまで落ち着いてきたのは感じてきていた。
けど、それに自信がなかった。ストラクチャーのない自分なりの埋め合わせが、本当に自分の心を立たせることができるのか自信がなかった。
彼女は、それを、できてるよ、って認めてくれた。
それはとても大きなことだった。
ツーソンでの生活は楽園のようだった。
私を苦しめる人がいない世界、みんなが優しくて、笑顔ばかりで、人が助けてくれて、楽しいことばかりがおこる世界。そこにたくさん救われた。
けど、現実世界で生きていけるか少し心配だった。
やっていけるかなあって想像するとなんだか少し怖かった。
これが楽園だからできてるんじゃないのかなあって。
でも今日、どこでも生きていけるくらい大きくなっているってみてくれた。
それはとても嬉しいことだった。
違う都市にいって、ストレスを感じてしまったときとかに、でもストレスフリーの楽園が確実に世の中にあることを心に留めているのは、何も知らないのとは違うから。いつでもそこにいけるっていうのは、心の支え。である。確実に。
そんな経験を経て、私は私が思っている以上に強く大きくなっていた。
だから今まで自身の自分を想像しなくてもいい、もっとキャパシティの大きくなった自分を見て、それを動かす癖をつけていくこと。使ってみること。
今犯す失敗はきっと失敗じゃなくて、ミステイクのふりをした成功だからって。
嬉しかった。
自分の犯す失敗が大きすぎて最近怖かった。自分がコントロールできてない気がして怖かった。でも今の自分は信頼できる。きっと信頼できるから、失敗しても大丈夫だよって。
それはすごく嬉しかった。
父親の存在は大きかった。
ずっといて、ずっと彼との比較で生きていた。
けれど、最近解放された気がしていたんだよね。それを彼女が察知していた。
深い緑はそこからうまれたものだった。自分の人生にとって大きい人をひとりゆるした。
あすみちゃんの勝ちだよ、って言ってくれた。
勝ちっていうのは喧嘩の勝ちじゃない。父を1人の人間と見て、自分をセパレートして、別の個体として自分を作り上げて育てあげた、私の私に対する勝ちだった。
父はきっと自分にしてあげたかったことを全て私にしたのだ。彼は弱い。私はそれにも気づいていた。
けれど彼女は言った、父の子育ては成功だった。自分より強い人を作ったのだから。
それはなんともかっこいい言葉である。彼は新しい子育てで、それに気付くよって言ってた。
彼女は、私たち家族もこれからはすごくいいことがたくさん起こるよって言ってくれた。
母も含めて。
振り返ると10年弱ほど、ストレスフルな家族でいたから、各々がいろいろに頑張って、関係を諦めないで、そうしてきた甲斐があったね。よかったね。
これからはいっぱいいいことが起きるよ。
私は非常に素直だと。
そして人に信頼されるって言っていた。それは私の言葉に嘘がないから。
サンフランシスコに来て1週間、良い人にしか会ってない。みんなとても優しくて、わたしのためになることをしてくれて。
それは私は良い人で、信頼できる、本当の言葉を紡ぐから、みんなが助けてくれてるんだって言っていた。
うーん、正直私もそんな気がする。(笑)
最近は魅力を全開にして歩いているから、かわいらしい人たちがひっかかってきたりもする。そういう人たちに優しくごめんねをする方法を知らないといけない(笑)
それはおいといて、とにかく自分の進む道をクリアにしている限り、本当に助けてくれる人が現れてきて、それはとても嬉しくて感動している。
信頼できる人間、になれて嬉しい。
これからは、少し大きくなった自分に見合う心持ちをしていきたいと思う。
それを認められたのは本当に大きい。
新しくストレッチしてみて、新しく挑戦できる。怖がらずにできる。
本当に、それは大きい。嬉しい。ありがとう。
まゆみさんとのセッションはそんな感じだった。
深呼吸と水を飲むのを忘れずに、この新しい言葉を体に刻んであげたいと思う。
私は新しい章を開くのだ。
今日は、友達の友達であるりこちゃんに進められて出会ったまゆみさんに話を聞いてもらいに来た。彼女は人のカラーが見える人で、心や思考のこりを独自のリーディングでほぐしてくれる人。今の私にはその類の人がとても必要だった。苦しんだ2012〜2013年頃のことを思い出す。もう4〜5年も経っているんだ!
彼女が私に見た色は、白、黄色、グレーと、深い緑だった。
白は、清廉潔白、神聖で不可侵な白と、そこからグラデーションになってふつうの白が広がっていく。自分に神聖な白があって驚いたし、嬉しかった。守りたかったものが守れていた気持ちだったし、高めたかったものを高めれていた気持ち。
ふつうの白からは除菌という言葉が出てきた。それはとてもわかる。今は努めて、嫌なものを排除したり、思考停止したりするようにしている。それが私が過去数年間で築き上げた自分の守り方だった。除菌、してる。
黄色は輝いている純粋な色。細くハイライトとして入っている。これは今の私を表していると思う。最近になって強く出たんだと思う。自分の陽の部分全てを担っている強いきりっとした色。
グレーは忘れた。
深い緑は、許容の色。これは以前は努めてもっていたものが、経験を経て自分のものへとなっていった色。うん、今、確実に自分の許容範囲は広がっている。
私のキャンバスには、まんなかに好奇心がわさわさと湧いている。それは知っている自分。全てのピュアな原動力。
隅の方に三角座りしている小さいものがいる。それは、私が好奇心で圧迫されたときに落ち着く場所。
体格には黒いゆらっとした細長い影があって、それは多分父や社会やそれにつられた恐怖や不安、その先に美しくたゆたう波がある。
その波がいつも私を動かすもの。美しい原動力と理想、違う世界。水面がキラキラしてる。多分、その中はいろんなものがあるけど、外から見る分には魅力的でたまらない。
他にもなんか浮いているものがあるけど、今回は省略。
いっぱい話した。
絵が、とてもorganizedされていると言ってくれた。嬉しかった。
私から、暗いものや悲しいものを感じない、良い予感しかしないとしか言ってくれた。
20代30代は親の価値観と自分の価値観でせめぎ合うときである。そのときに、そこからsuccessfully 抜け出せたことを教えてくれた。
その戦いはとても長くて苦しくて、私は18歳(17歳かな)からずっと苦しんできた。特に父。たくさん悲しんで憎んで自分も嫌いになって、いろんな方法で立て直すことを試してきて、ここまでやってきた。自分なりに分析して何かを読んで吸収して、いろんな人のケースを知って。
そんな自分なりの営みが、最近よいところまで落ち着いてきたのは感じてきていた。
けど、それに自信がなかった。ストラクチャーのない自分なりの埋め合わせが、本当に自分の心を立たせることができるのか自信がなかった。
彼女は、それを、できてるよ、って認めてくれた。
それはとても大きなことだった。
ツーソンでの生活は楽園のようだった。
私を苦しめる人がいない世界、みんなが優しくて、笑顔ばかりで、人が助けてくれて、楽しいことばかりがおこる世界。そこにたくさん救われた。
けど、現実世界で生きていけるか少し心配だった。
やっていけるかなあって想像するとなんだか少し怖かった。
これが楽園だからできてるんじゃないのかなあって。
でも今日、どこでも生きていけるくらい大きくなっているってみてくれた。
それはとても嬉しいことだった。
違う都市にいって、ストレスを感じてしまったときとかに、でもストレスフリーの楽園が確実に世の中にあることを心に留めているのは、何も知らないのとは違うから。いつでもそこにいけるっていうのは、心の支え。である。確実に。
そんな経験を経て、私は私が思っている以上に強く大きくなっていた。
だから今まで自身の自分を想像しなくてもいい、もっとキャパシティの大きくなった自分を見て、それを動かす癖をつけていくこと。使ってみること。
今犯す失敗はきっと失敗じゃなくて、ミステイクのふりをした成功だからって。
嬉しかった。
自分の犯す失敗が大きすぎて最近怖かった。自分がコントロールできてない気がして怖かった。でも今の自分は信頼できる。きっと信頼できるから、失敗しても大丈夫だよって。
それはすごく嬉しかった。
父親の存在は大きかった。
ずっといて、ずっと彼との比較で生きていた。
けれど、最近解放された気がしていたんだよね。それを彼女が察知していた。
深い緑はそこからうまれたものだった。自分の人生にとって大きい人をひとりゆるした。
あすみちゃんの勝ちだよ、って言ってくれた。
勝ちっていうのは喧嘩の勝ちじゃない。父を1人の人間と見て、自分をセパレートして、別の個体として自分を作り上げて育てあげた、私の私に対する勝ちだった。
父はきっと自分にしてあげたかったことを全て私にしたのだ。彼は弱い。私はそれにも気づいていた。
けれど彼女は言った、父の子育ては成功だった。自分より強い人を作ったのだから。
それはなんともかっこいい言葉である。彼は新しい子育てで、それに気付くよって言ってた。
彼女は、私たち家族もこれからはすごくいいことがたくさん起こるよって言ってくれた。
母も含めて。
振り返ると10年弱ほど、ストレスフルな家族でいたから、各々がいろいろに頑張って、関係を諦めないで、そうしてきた甲斐があったね。よかったね。
これからはいっぱいいいことが起きるよ。
私は非常に素直だと。
そして人に信頼されるって言っていた。それは私の言葉に嘘がないから。
サンフランシスコに来て1週間、良い人にしか会ってない。みんなとても優しくて、わたしのためになることをしてくれて。
それは私は良い人で、信頼できる、本当の言葉を紡ぐから、みんなが助けてくれてるんだって言っていた。
うーん、正直私もそんな気がする。(笑)
最近は魅力を全開にして歩いているから、かわいらしい人たちがひっかかってきたりもする。そういう人たちに優しくごめんねをする方法を知らないといけない(笑)
それはおいといて、とにかく自分の進む道をクリアにしている限り、本当に助けてくれる人が現れてきて、それはとても嬉しくて感動している。
信頼できる人間、になれて嬉しい。
これからは、少し大きくなった自分に見合う心持ちをしていきたいと思う。
それを認められたのは本当に大きい。
新しくストレッチしてみて、新しく挑戦できる。怖がらずにできる。
本当に、それは大きい。嬉しい。ありがとう。
まゆみさんとのセッションはそんな感じだった。
深呼吸と水を飲むのを忘れずに、この新しい言葉を体に刻んであげたいと思う。
私は新しい章を開くのだ。
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