4.18.2017

a piece of shいt

自分の気持ちを書き綴って悲劇のヒロインみたいになるのはとても恥ずかしくて嫌いなのですが、だいたい半ばやっているようなものだし、いろんな人がブログを通じて自分の気持ちを整理しているのをみると、私もやっていいのかなあ、なんていう気分になって、学校のブックストアのfashionとarchitectureの棚の前のthe most confy sofaに座ってパソコンを開いた。
I'm in deep sorrow and sadness now.
久しぶりに逃げ出したい気持ちにかられている。私の大好きな平日の吉祥寺(2000年代)に行きたい、今はもうないPARCOの8階には打ちっぱなしコンクリートのフロアすべてを使ってfrac francが入っていた。突然のショッキングピンクや花のモチーフのかさたてとか、フロアについた瞬間の香りが大好きだった。高校自分の私には憧れの場所だった。そして今は反勢力みたいな場所(ドンキ)になった全階無印の丸井ビルは、4階が文具売り場で新しいものをチェックしては買っていた。高校生は文具くらいしか買えない。
いつになったら憧れの雑貨を悠々と買えるときがくるだろう。
買えなくても、それは私の憩いの場所だった。本屋はそんなところだ。本屋のインテリアが好きだ。本屋は小さなショーケースだ。あらゆるもののショーケースだ。グラフィックの棚に行くと美しい写真と知らない世界がたくさん並んでいる。知らない絵の書き方、知らない植物の育て方、知らない地域のファッション、私は意味を探さなくていいし、見ているだけでいいのが、脳の動きを止めるのを許されたようで、そして文字通り見目麗しく、視覚から心に栄養を送ることができる。美しいものは尊い。
そう、心の栄養が枯渇している、今。
辛くて泣く、ということを私はしない。強気の子供だったし、泣いたのは手術のときと、あと感動する映画を見ると「じんわり」と泣くことはよくある。でも辛くて泣くという現象が理解できてなかった。よく女の子が泣くのを見たり聞いたりしてたけど、私は泣きたくても泣けなかった。父親とバーで喧嘩して、ありえない言葉を吐き捨てられたときは悲しくて泣いたけど、悲しいからだった。辛くて泣くってなかった。それが今日もう本当に動けなくて、シャワーも浴びて化粧は完璧、というときに、家から出られなくなった。仕方ないから最近インスタグラムで好きなアーティストのまねをして、女の子の絵を太いマジックで書いて、簡単な心境も添えて、色鉛筆で塗っていた。ほどなくしてお腹がすいて、私はベークルをあたためてクリームチーズをぬりたくって、せっかくだからといちごをスライスしてのせていて、自分が鼻をすすっていることに気づいた。それは鼻炎の鼻水じゃなくて。もしかしてって、思って、「もうやだ」って言葉に出したら、待ち構えてたかのように涙が両目から溢れてきて、「もうやだ」って言葉と嗚咽だけひとしきり続いてしまった。出てきた、つらい涙、私も出るんだ、って思った。
一通り泣いたら少し気持ちが落ち着いて、家を出た。本当はお気に入りのグラディエーターサンダルをはきたかったんだけど、時間をとるからバレエシューズを秒で履いて家を出た。学校についても会いたい教授はいなくて、オフィスの空間が私を悲しくさせるから、建物を出てアメリカの不健康な食事をとった。ロースクルにいる親友たちに連絡をして、数時間後に彼女の授業の合間を縫って会いにいった。もうひとりの友達も、忙しい中たまたま通りがかることができて、大きなハグをして去っていた。
私が泣いている理由は修論とアドバイザーとの関係だ。彼は非常に人が良いけど、全くorganizedされていない。研究の進め方がポロポロかわる。私の出した結果、3日後には全く関係ないものになっている。私の成果を全く大切にしてくれない。なにも認めてくれない、それはrejectionとは違う、気にかけないのだ。私はなんのためにやってるのだ、私のためなんだけど、誰も評価してくれない世界でただ孤独にものを進めることの限界にやってきた。評価されたい。なんで見てくれないの。なんで私の書いた修論の一部読んでくれないの。私にとってはとても大切なものなのに、なんで。私は何度も彼にいった、planの全貌を見せてくれ。そして彼はたまにplanをよこす、そしてそのplanは最後まで通じてるようにみえて、翌週には全く違うことを要求してくるのだ。これじゃいつまでたっても私は最後にたどり着かない、何も終えることができない、なんにも成果がでない。私はとりたてて優秀だとは思わないけど、バカだとも思わない。言っとくけど可能性は存分にあると思っている。去年のプロジェクトではすごく活躍した。私は自分が大好きになった。なのに彼は私をうまいように使ってくれない。私の価値が発揮されない。それがつらい。私はもっとできるはずなのに、うまく力を出せない。それがfrustrationでfrustrationで、本当につらい。本当は今頃書き上がっているはずなのに、なんでこんな基礎的なことをやっているんだよ私、って思う。本当につらくてつらくて仕方がない。本当につらい。
自分でやってみなよっていう人もいるけど、やってみた結果何度もoverwriteされてみたら、そりゃもうやる気なんてなくなる。私でも無理になる。もうくじけた。完全にくじけた。こんなにしっかりとくじけたことはない、というほどにくじけた。自分を鼓舞できない、鼓舞しつくした、もう力なんて余ってない。つらいよ、つらい。
つらいときはあゆみを止めないかわりに、1cmでも動いたらいいことにしている。
もう本当に修論、どうすればいいのかわからなくて、私の中になにも残っていない。すごく困っている、今週末は剣道の大会なのに、心に気合いが充満していないといい稽古もできないしいい試合もできない。明日からこの土曜日にむかって、自分の気分を爆上げしたい。そのためには修論でいいステップを踏まなくてはいけないの。いけないの。それだけが今本当に私にとっての全てだから。本分が務まらないかぎり、どんなにいい音楽を聞いても、いいものを見ても、大好きな友達と話しても、いい食べものを食べても、マッサージにいっても、だめなんです。修論が今の私の命だし、プライドがあるから。
今月こなかった生理がきてくれたら、少し心は楽になるかもしれないけど。ホルモンバランスのせいでもあると思う。
将来そんな上司にあたったらまた泣くのかなあ。今回のことで、そういう人とのやり方を克服できたとは思わない。失敗から学べって人はいう。うるさい。人は後ろ向きでいたいときもあるのだ。開けたくない扉も、見たくない傷もあるんだ。
Have someone you can share sadness and sorrow


少し続ける。
ここからは、ラブレターです。


Have someone you can share sadness and sorrow
そんなことを昨日親友と話した。
親友と呼ぶそのアメリカ人の女の子は、私よりも多分3つ下で、ワシントン州の田舎からアリゾナに出てきた。父親の違う姉がいる。彼女の父は武道をやっているけど、既に彼女の母とは別れていて、2人目の父は死んだらしい。私たちは、母親が大好きで、母親に幸せになってほしいねえなんてブランチしながら話したり、彼女の母親をないがしろにする母の彼氏をぶっつぶしたくなったりしてる。彼女と私はラベンダーの香りが好きで、掃除するのが好きで、meanな男は嫌いで、ヨガとダンスは愛していて、お互いを愛しているけど、残念ながら私は異性愛者なので、彼女と恋仲にはなれない。(私は自分がストレートであることがひどく残念なことだと思っている)彼女の母と姉が訪れたとき、ゲイのカップルが訪れたとき、親友が訪れたとき、私たちは小さなパーティをして踊りにいった。なぜか彼女の訪問者はみんな占星術に超詳しくて、3週連続で What's your main star, moon and sun? なんて話を聞いていたら、まるで知らない自分が常識はずれみたいだった。(I'm scropio and my moon is pisces, sun is aries、さすがに調べた。)みんなハーブが好きで体の声をよく聞いていた。愛に溢れていた。愛に溢れている人は愛がひたひた満ち足りているのが見えるから、とても安心する。私もアジアの魔女を張っている。最近彼女のお気に入りの友達は、トランスジェンダーの男女で、すなわち中身でいうと女男で、私も仲良し。そういう子たちは何かと人と違うことを感じたり考えたりするから、自分がスムーズじゃない人間でも、仲良くなれやすい。
もうひとりの親友はパキスタン人のアメリカ人で、両方の国で育ってきて、文化の違いに多分いまだに苦しんでいる。重度のトラウマをもっていて、でもいつでも前に進むことを忘れない彼女が私は大好きだ。彼女はそろそろ30になる。去年の暮れにオフキャンパスの家を探していたとき、一緒に住もうって言われたけど、パキスタンでメイドがいて家事のやり方を一切知らないというのはお金では解決できない問題をうみそうでさけたのと、大麻はよくてもコカインを同じ屋根の下でされるのは私の人生計画の中になかったので、今は別の場所に住んでいる。車の運転は乱暴で、私たちは一緒に交通事故もした。そんな不器用さ全開の彼女の、それでもちゃんと生きたいってしてるところが、私はしびれるくらい好き。
書き疲れてきた。
私は彼女たちといて心のそこから安心するし、ずっと一緒にいたいって思う。男なんていらない。だけどそれは人生の優先順位でいうと実は高くないから、私たちは6月から別々の街で過ごすことになる。悲しい、これもまた人生かな。
英語ができるといろんな人と交流できるとか、留学すると世界が広がるとか、そんなちんけな言葉では表現しきれない体験を、関係を、愛情を、私のこの2年間は内包している。私は出会うべき人たちに出会った。彼女たちは今の私を形作る大切な大切な要素である。愛してる。
愛を吐いたら全てを使い切ったかも、疲れたわ。おわり。

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