ここ1年くらい、みんな人生のしわ寄せが突然きたのかというくらい、そこそこ重くて長い相談を友だちから受ける。わたしで良ければ、と思って耳を貸していたものの、耳レンタルもそう簡単ではないことに気づき、どうせ同じこと聞かれるならブログにまとめてみようと思って書くことにした。
わたし自身、大学に入ってからこの冬くらいまで日々色々なことについて悩んでいた。20歳の頃に比べて、22歳の頃になったら悩みの量も結構減ったものの、色々と思索に明け暮れていた20代前半だった。(来月で25になります)
かなり以前からフォローしているTwitterの人で、30歳頃に定職についた人が、30の誕生日を迎えたときに、20歳の頃なんて戻りたくないってツイートしていた。それはわたしも強く思う。ハタチはバラ色の人生だと大人は言っていたが、あんな暗澹とした世界にはもう一生戻りたくないし、裏を返せば、その頃に比べたらすごい勢いで成長している今が好きだ。
(それでも、高校生の頃に戻りたいなんて思うことはときたま、ある。)
多分、今悩んでいるまわりの友だちよりも数年早く「多様性」の波に飲み込まれてのことだったのだろうと思う。
小中高大、と美しくひかれたレールの上を歩いてきた。京大に行った身としては、その先にも一流企業とかいう美しいレールが続いていることも知っている。
わたしは「大」のレールに乗れなかった。
そして歳を重ねれば重ねるほど薄くなっていくレールの不安定さに、友だちも気づいたんだろう。怖くて乗っていられなくなったけど、今更乗り換えることもできなくて、友だちや家族に電話してつぶやくのだ。「レールが変なんだけど・・・」
具体的にはこういうこと。
バラバラのレールに乗ることを頭ではわかっていても、感覚としてつかむのは難しい。
24、25歳のいま、高校から4大に行ってすんなりと就職した友だちはみんな社会人3年目を迎えている。ある程度の社会的責任を負い、そこそこの貯金もして、大学生の頃よりも良い服をきて、良いものを食べている。大学院に行った友だちも今年から働きはじめている。
なにかしらの不安を抱えて電話してくる友だちの中には学生が多い。
大学に入る前に浪人をしたから、PhDに進んだから、留学や休学で留年しているから、色々な理由で、25歳になっても未だに親の庇護下で小学生の頃から変わらない営み(おべんきょう)を続けている子たちだ。
まあ自分もだし、いつまでこれやってんだろう、という気持ちもわかる。
ところでそういう友だちは大抵賢くて、努力家だ。
自分で専門を選択して、主体的に物事を学んでいる。
というわけなので、勿論、「普通」と言われているレールに見向きもせずその上を目指している。多分、自分でそこを意識することが重要なのだ。
(これは学生をしている友だちだけでなく、働きはじめて会社をやめたいと嘆く友だちも同じだ。)
彼らは、「そこそこの就職口に就職して働きはじめ、ふつうの24(25)歳OLになる」という選択肢を持っていた。確実に持っていたし、実現しようと思えばできたのだ。
でもそれをしなかった。自分の意志でその「普通」という選択肢を放棄したのだ。
というわけで、落ち着いて考えてほしい。
「既に就職した友だちと比較して自分が不安定な学生という身分を続けることに不安を感じる」リスクをとっても、彼らはその道を選びたかった訳なのである。
そんなに学生してるのこわいんか、じゃあ普通に就職すれば?というとたいてい口を揃えてNOという。それが本心なのだ。
良いとこ取りなんてできないんだから、そんな目標の高く努力家(で頑固でわがまま)な自分を受け入れて欲しいと思う。不安は消えないけれど、自分で選んだ道を行くというのはそういうことなのだ。
人と違う不安を抱えて、でも人と違う楽しさとも出会えて、歩いて行くということだ。受け入れましょう。
ついでに言うと、「○歳だから(〜しなければならない)」ということに煩わされるのはもうやめたほうがいいとも思う。年齢と人生の進捗具合にたいした相関はない。
というのが悩みのセカンドステップだ。
・・・という訳にはいかない。
将来に関する不安は星の数ほどある。
それら全てに立ち向かっていたらそれだけでもう気が滅入って死にたく、もとい、全てを忘れてハワイにいきたくなる。ところがフライトを買うお金もないわけだ。
物は考えよう、と人は言う。
こちらが真剣に不安に思っていることを話したときに、ひっくり返してこう考えればいいんじゃない?とアドバイスを下さった人がたくさんいた。ありがたくないこと山のごとし。何も解決していない。
しかし、実際のところ目の前でスンと解決できる悩みなんて片手で数えるほどもないはずだ。あったとしたら既に解決されているはずである。なぜならば、ここで書いている悩みをもつ主体の彼らは、そこそこ賢くてそこそこまじめだからだ。
中には、そんなこと考えなければいいじゃん、と言ってくる人もいるだろう。でもこちらとしてはあなたほど能天気な人間にはなれないんです、というものだ。
じゃあどうすればいいのか?
悩んで苦しんで下さい。
そうとしか言えない。
それがそこそこ賢くてまじめ(で頑固でわがまま)な人の宿命なのだ。
わたしは大学2回〜3回夏まで、大学が嫌いで嫌いで仕方なかった。まわりにいる人も好きになれなかった、先生もクソかなんかだと思っていた。親も意味不明な勢いで離婚するし、本当に色々考えた。
色んなことで悩んで、色んな人に上に書いたようなアドバイスをもらった。1000回くらいもらった。
879回目くらいから、「これはこう考えることができる、というアドバイスくれそうだなこの人」という予測がたつようになって、アドバイスもらうだけ無駄、みたいな気持ちになった。そう考えることができないから悩んでいたわけだし。
それで最終的に、ようは考えようだから考えるだけ無駄、という結論に至った。自分の考え方もひっくるめて、「これはこういう考え方とこういう考え方とこういう考え方がデキマスネー」という冷めた客観視ができるようになった。もう1歩進んで、「こういう風に進めるのがベストデスネー」ということも他人事のように考えられるようになり、「じゃあススメマショー」という流れでとりあえず「悩むだけ」の世界から抜け出した。
逆に言うと、事実以外のものが全てどうでもよくなった。
すると1つ前の話と同じ結論なのだが、不安を受け入れることができるようになった。(というか受け流す?)
まあこれも、頭ではわかっていてもそう心が動くようになるには時間がかかるので、自分的な境地が開けるまではぜひ悩み悶え苦しんで下さいというのが最適解だと思っている。
わたし自身、大学に入ってからこの冬くらいまで日々色々なことについて悩んでいた。20歳の頃に比べて、22歳の頃になったら悩みの量も結構減ったものの、色々と思索に明け暮れていた20代前半だった。(来月で25になります)
かなり以前からフォローしているTwitterの人で、30歳頃に定職についた人が、30の誕生日を迎えたときに、20歳の頃なんて戻りたくないってツイートしていた。それはわたしも強く思う。ハタチはバラ色の人生だと大人は言っていたが、あんな暗澹とした世界にはもう一生戻りたくないし、裏を返せば、その頃に比べたらすごい勢いで成長している今が好きだ。
(それでも、高校生の頃に戻りたいなんて思うことはときたま、ある。)
多分、今悩んでいるまわりの友だちよりも数年早く「多様性」の波に飲み込まれてのことだったのだろうと思う。
小中高大、と美しくひかれたレールの上を歩いてきた。京大に行った身としては、その先にも一流企業とかいう美しいレールが続いていることも知っている。
わたしは「大」のレールに乗れなかった。
そして歳を重ねれば重ねるほど薄くなっていくレールの不安定さに、友だちも気づいたんだろう。怖くて乗っていられなくなったけど、今更乗り換えることもできなくて、友だちや家族に電話してつぶやくのだ。「レールが変なんだけど・・・」
具体的にはこういうこと。
- 高校の友だちは今こんなことをしているのに自分ときたら・・・
バラバラのレールに乗ることを頭ではわかっていても、感覚としてつかむのは難しい。
24、25歳のいま、高校から4大に行ってすんなりと就職した友だちはみんな社会人3年目を迎えている。ある程度の社会的責任を負い、そこそこの貯金もして、大学生の頃よりも良い服をきて、良いものを食べている。大学院に行った友だちも今年から働きはじめている。
なにかしらの不安を抱えて電話してくる友だちの中には学生が多い。
大学に入る前に浪人をしたから、PhDに進んだから、留学や休学で留年しているから、色々な理由で、25歳になっても未だに親の庇護下で小学生の頃から変わらない営み(おべんきょう)を続けている子たちだ。
まあ自分もだし、いつまでこれやってんだろう、という気持ちもわかる。
ところでそういう友だちは大抵賢くて、努力家だ。
自分で専門を選択して、主体的に物事を学んでいる。
というわけなので、勿論、「普通」と言われているレールに見向きもせずその上を目指している。多分、自分でそこを意識することが重要なのだ。
(これは学生をしている友だちだけでなく、働きはじめて会社をやめたいと嘆く友だちも同じだ。)
彼らは、「そこそこの就職口に就職して働きはじめ、ふつうの24(25)歳OLになる」という選択肢を持っていた。確実に持っていたし、実現しようと思えばできたのだ。
でもそれをしなかった。自分の意志でその「普通」という選択肢を放棄したのだ。
というわけで、落ち着いて考えてほしい。
「既に就職した友だちと比較して自分が不安定な学生という身分を続けることに不安を感じる」リスクをとっても、彼らはその道を選びたかった訳なのである。
そんなに学生してるのこわいんか、じゃあ普通に就職すれば?というとたいてい口を揃えてNOという。それが本心なのだ。
良いとこ取りなんてできないんだから、そんな目標の高く努力家(で頑固でわがまま)な自分を受け入れて欲しいと思う。不安は消えないけれど、自分で選んだ道を行くというのはそういうことなのだ。
人と違う不安を抱えて、でも人と違う楽しさとも出会えて、歩いて行くということだ。受け入れましょう。
ついでに言うと、「○歳だから(〜しなければならない)」ということに煩わされるのはもうやめたほうがいいとも思う。年齢と人生の進捗具合にたいした相関はない。
- じゃあ不安は消えないの?自分の将来がみえなくてこわい・・・
というのが悩みのセカンドステップだ。
かしこまりました、不安を消す魔法を教えましょう、https://youtu.be/algaC2jhu8s
・・・という訳にはいかない。
将来に関する不安は星の数ほどある。
それら全てに立ち向かっていたらそれだけでもう気が滅入って死にたく、もとい、全てを忘れてハワイにいきたくなる。ところがフライトを買うお金もないわけだ。
物は考えよう、と人は言う。
こちらが真剣に不安に思っていることを話したときに、ひっくり返してこう考えればいいんじゃない?とアドバイスを下さった人がたくさんいた。ありがたくないこと山のごとし。何も解決していない。
しかし、実際のところ目の前でスンと解決できる悩みなんて片手で数えるほどもないはずだ。あったとしたら既に解決されているはずである。なぜならば、ここで書いている悩みをもつ主体の彼らは、そこそこ賢くてそこそこまじめだからだ。
中には、そんなこと考えなければいいじゃん、と言ってくる人もいるだろう。でもこちらとしてはあなたほど能天気な人間にはなれないんです、というものだ。
じゃあどうすればいいのか?
悩んで苦しんで下さい。
そうとしか言えない。
それがそこそこ賢くてまじめ(で頑固でわがまま)な人の宿命なのだ。
わたしは大学2回〜3回夏まで、大学が嫌いで嫌いで仕方なかった。まわりにいる人も好きになれなかった、先生もクソかなんかだと思っていた。親も意味不明な勢いで離婚するし、本当に色々考えた。
色んなことで悩んで、色んな人に上に書いたようなアドバイスをもらった。1000回くらいもらった。
879回目くらいから、「これはこう考えることができる、というアドバイスくれそうだなこの人」という予測がたつようになって、アドバイスもらうだけ無駄、みたいな気持ちになった。そう考えることができないから悩んでいたわけだし。
それで最終的に、ようは考えようだから考えるだけ無駄、という結論に至った。自分の考え方もひっくるめて、「これはこういう考え方とこういう考え方とこういう考え方がデキマスネー」という冷めた客観視ができるようになった。もう1歩進んで、「こういう風に進めるのがベストデスネー」ということも他人事のように考えられるようになり、「じゃあススメマショー」という流れでとりあえず「悩むだけ」の世界から抜け出した。
逆に言うと、事実以外のものが全てどうでもよくなった。
すると1つ前の話と同じ結論なのだが、不安を受け入れることができるようになった。(というか受け流す?)
まあこれも、頭ではわかっていてもそう心が動くようになるには時間がかかるので、自分的な境地が開けるまではぜひ悩み悶え苦しんで下さいというのが最適解だと思っている。
- とりあえず以上2点で終わりにします。
たいていの相談の電話は、「うんうん」とか言いながら部屋を片付けたり洗濯物をたたんだりして、最後に上記2点に触れると、「相談してよかった」という方向に流れる。適当でごめん。
これはわたしの経験に基づく話なので勿論あてはまらない人もいる。
「そこそこ」頑張る、と言ったのは、本当に頑張ってる人たちはこんなちっぽけな悩みで止まったりしないからだ。
だからといって、わたしも含めたそこそこ頑張る女子がダメなわけじゃない。そんな完璧な人はなかなかいない。(きっとMITとかにいる。)
ちっぽけだけど過小評価せずに、自分が今まで蓄積してきたことに自信を持って、失敗を恐れずに続ければ、きっと楽しい生活が待っているはずだ。あと自分が頑固なこととプライドが高いことも忘れずに、たまにはしなやかな気持ちにもなること。
自分のハンドル握ってれば大丈夫。
わたしだって正直、こんなこと考えず楽しい20代前半したかったよ。
けどこれが自分だから。