9.29.2013

モモ





p.275
モモはただ彼をじっと見ました。なににもまして彼が病気だということ、死の病にむしばまれているということが、よくわかりました。

pp.321-322
「それは、どういう病気なの?」
「はじめのうちは気のつかないていどだが、ある日きゅうに、なにもする気がしなくなってしまう。なにについても関心が持てなくなり、なにをしてもおもしろくない。だがこの無気力はそのうちに消えるどころか、すこしずつはげしくなってゆく。日ごとに、週をかさねるごとに、ひどくなるのだ。気分はますますゆううつになり、心の中はますますからっぽになり、じぶんにたいしえも、世の中にたいしても、不満がつのってくる。そのうちにこういう感情さえなくなって、およそなにも感じなくなってしまう。なにもかも灰色で、どうでもよくなり、世の中はすっかりとおのいてしまって、じぶんとはなんにかかわりもないと思えてくる。怒ることもなければ、感激することもなく、よろこぶことも悲しむこともできなくなり、笑うことも泣くこともわすれてしまう。そうなると心の中はきえきって、もう人も物もいっさい愛することができない。ここまでくると、もう病気はなおる見こみがない。あとにもどることはできないのだよ。うつろな灰色の顔をしてせかせか動きまわるばかりで、灰色の男とそっくりなってしまう。そうだよ、こうなったらもう灰色の男そのものだよ。この病気の名前はね、致死的退屈症というのだ。」
モモのからだを悪感がはしりました。



10年ぶりくらいにモモを読みました。
今SNSをとりあげたら致死的退屈症になる人はゴマンといるんじゃないかなあ。


p.95
けれど、時間とはすなわち生活なのです。そして生活とは、人間の心の中にあるものなのです。
人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそって、なくなってしまうのです。


良いね。

9.22.2013

大学4年間の意義を求めて。

自分との対峙

院へのPersonal Statementを書くために
自分の経験、蓄積、将来像を書き出し
実際の合格者のPersonal Statementを読み込み
どうしても拭えない感情にぶちあたった。

常にないふりをしていた不安がある。
不安のない人はいないのだから
自分の不安、未熟さ、それは問題ないのだと言い聞かせてきた。

あるいは強さの欠如。
強い意志、自分を突き動かす動機が感じられない。
私はなにをしてきたのか?
私はなにをしたいのか?


背き続けた弱さ

小学生の頃から塾に通い、都内の私立中高一貫校に通う。
皮肉にも器用な性格故にうまくこなすことが得意だった。
なんでも楽しめる性格が功を奏して順風満帆の18年間+浪人の1年間。

晴れて合格した先の京大で待っていたのは、レールのない4年間。
レールらしいレールを求めて部活を始めるも相性が悪く10ヶ月で退部。
その後、見たことのない自分との出会いが待っていた。

正解がない恐怖を初めて味わった。
好きなひとやものがない世界を初めて知った。
なにもしない毎日を初めて過ごした。

家族は遠方で、友達とは気が合わず、学校にも行かず、
ひたすら自分の殻にこもっていった。
自分が何をしたいのかわからなかった。
自分がなぜなにもできないのかわからなかった。
自分の弱さを初めて知った。
1人じゃ何もできない。意思もない。強みもなにもない。
これが、自分だった。


闇の中の小さな光

弱さに怯えながらもひとつだけ続けたものがある。
フェアトレードのサークル活動。

2回生の5月に興味をもったとき
これを離してはいけないと感じた。
大学に入ってから初めて興味をもったものだから。

これを離すとまたなにもなくなってしまう。
それが怖くてひたすら打ち込んだ。
弱い自分はいつでもそばにいて隙をついてはすぐに出てきた。


転機

その後3回の夏にUC Davisに3週間渡航した。
その3週間が私を再び道の上に戻してくれた。

学ぶことが楽しくて、誰と話しても楽しくて、英語を使うのが楽しくて
生きるのが楽しいということを3年半ぶりに思い出した。
何でも楽しめる自分、強い自分が戻ってきた。
みんなが弱いことも教えてくれた。
初めてできた仲間だった。

そして大学生活残りの1年半をこの大学で強く生きようと決めた。


残りの1年半

まずは足りない単位を補うために4回前期まで学校に通った。
授業をまじめに受けて、授業からなにかしら得るようになった。

そしてフェアトレードの活動も今まで以上に力を入れた。

大学生らしく京大生とたくさん遊んだ。

個人で途上国へ渡航しようと思いグラミン銀行のインターンに参加した。

卒業論文を始めた。
大学生になって初めて勉強することが楽しい。

ようやく人並みの学生生活を送れるようになった。


やりのことしたこと。

交換留学をしたい。
できれば1年くらいいて、語学または経済学を勉強したい。
学部のうちに語学を修めておきたかった。

途上国経験をしたい。
1ヶ月以上の滞在はしたことがない。
NGOのボランティア等で1年ほど開発の現場に携わり
実際に何を学ぶべきなのかを肌で感じたかった。
また今後のモチベーションの形成にもなると思う。

フェアトレードサークルを続けたい。
京大内でのフェアトレードの普及にもっと尽力したかった。
京大生は理解があるから広範な普及は不可能ではないし
色々なメソッドを確立してきたところで引退なので惜しい。


わたしの大学生活

その半分以上は鬱状態でなにもできなかったように思う。
それでも弱さに出会えたことはとても大きな強みになる。

今まで不登校の子の気持ちも劣等生の気持ちもわからなかった。
あわない人がいることも知らなかったし
他人が自分にここまで関心がないことも知らなかった。
人間の負の気持ちというのを一挙に学び取ることができた。

自分で思うのは、前向きになれない人に対して
以前より優しくなったということ。
そして、うまくいかないことに対して
自分をうまくコントロールできるようになったということ。

それでもやはり、やり残したことは大きいのである。
開発で院に行こうとする人という基準で考えると
私はまだまだスタートラインにたったところで
これから院で吸収することの素地を作り上げたいというのが本音だ・・・

あと2年間、京都で学生をすることも視野に入ってきたかもしれない。

追記:結局京都は出た!

R.I.P to my dearest friend

My close friend in Tucson committed suicide It was Saturday morning here 7:30am Woke up and checked my phone Had a message from Tucson...